私の出産体験をひとことで表すとしたら、『出産って、やっぱり大変!』
私の自宅出産は、私とパートナーの他に、私の母と叔母、ずっといろいろ面倒をみてくれている友達の付添人と彼女の3人の娘、ミッドワイフ(後にさらに1人追加)の9人に見守られての出産だった。
私が想像していた「出産」っていうのは、 「自然出産っ♪ 自宅出産っ♪ 水中出産っ♪ わーい、わーい、わーーーーい」という感じだったから、陣痛が始まるまで真剣に出産の大変さを考えたことなかった。
で、実際に経験する段階になると途中で何度もへこたれそうになった。
最初に破水してから、54時間後。
陣痛がきてから、32時間後。
生まれたのは、7月7日早朝。
神秘的な体験だとか、スピリチュアルな感覚だとか、恍惚感とか、悟りの境地に近いとか、そんなものをどこかで期待していたけど、自分で産んだ赤ちゃんを抱いて、「おぉぉぉっ、わぉっ…。」と、信じられないような不思議な気持ちにはなったけれど、とにかく出産直後の率直な感想は、「ふぅぅぅぅぅ、やっと、終わった」「あぁ、疲れた」
最後は、ほとんど気力が残ってなかった。
記憶も結構もうろうとしている。
7日に産むから、と最初の頃、陣痛をとにかく和らげてリラックスしようとしていたからか、産む段階になって必要な強さの陣痛がこない。(最後になって、初めて陣痛によって、赤ちゃんを押し出す力をつくりだすことがわかった時には、もう遅かった。)
陣痛をのりきるためにすでに24時間前くらいから、 ちょくちょく出産プールにはいっているものだから、もうプールにはいる気力もない。(つまり、水中出産する段階になって、プールにはいる気力と、はいって産めるだけの陣痛と体力がなかった)
ついでに、陣痛がきてから食べれる人もいるみたいだけど、私は何か飲み物を飲んだだけで、吐きまくり。体力もなし。
パートナーに支えてもらって、がんばるが、プッシュしても、プッシュしても、空振り。
そうこうしているうちに、ベイビィちゃんの心音が落ち着いてきた(でてくる態勢からリラックスしはじめた)とかで、ミッドワイフに『後数回プッシュしても赤ちゃん出てこなかったら、救急車呼んで病院連れて行くから』と言われる。
パートナーには『病院で産みたくないでしょ?がんばれ!』と激励されても、焦るし、痛いし、眠いし、大変だし、何がどうだかよくわからないし、もうできないものはできないんだもん、この状況をなんとかしてくれるのなら、病院でも救急車でも陣痛促進剤でも、この際、帝王切開手もなんでもいいから、どうにかしてぇ!!!!!! と、心の中では思っていた。
実は、病院という言葉がでたのは、その時で3度目。自宅出産はあくまでも「通常分娩」できる状況でのみできることであって、つきそってくれるミッドワイフが通常分娩ではないと判断すれば、病院に連れて行かれる。
私の最初の「通常ではない」状況は、破水してから陣痛がくるまでの時間。
破水して24時間以内に陣痛が来なかったら「通常」ではなくなるらしい。最初の軽い陣痛がきたのが破水から22時間後 だったので、ミッドワイフに「念のため…」と病院で検査を受けに行くことを提案される。(あくまで、検査のためであって 検査の結果がだいじょうぶなら、帰って来て自宅出産できるからと言われるが、付添人の友達が「24時間以内にきたから、通常だ!」とミッドワイフにかけあってくれて、検査のためであっても病院に行かないことにする。じゃないと、そのまま病院にいさせられる可能性が高いから。)
次が、陣痛が20時間以上続いているにも関わらず、 cervix(子宮口?)が4cmしか開いていなかったとき。これまでの長くて痛い陣痛があまり役に立ってないと言われ、かなり愕然とする。これが6日の夜11時のこと。
通常は1時間で1cmずつくらい開いていくもので、10cm開かないと、赤ちゃんが出てくる準備にはいれないらしい。夜の8時で3cm開いていたのだけど、3時間で1cmしか開いていないというのは、遅すぎで「通常」ではない。
そこで、ミッドワイフに提案されたのが、作為的に羊水を破水させてcervixが開くように刺激する方法。これでOKというわけでなく、破水させたら、2時間で2cm以上開かないと絶対に病院に行かなければならない、と言われ、病院に「1時過ぎに急患がはいるかもしれません」と連絡される。
ミッドワイフの提案を承諾して、破水してもらう。ミッドワイフが先が尖ったものでつつくと、大量の水がぶわっと溢れ出す。ラウンジも自分も、もうぐっちゃぐちゃ。
それからの2時間、『心の中で「ひらけぇ~、ひらけぇ~」と 念じて、陣痛がくるたびに開くチャンスだと思って、がんばれ』と付添人の友達ににさとされるが、痛い陣痛に来て欲しくないというのが私の本音。もうすぐ7日だし、別に病院行ってもいいかも、とかなり弱気になってヘコたれる。けど、みんな私の希望を叶えようと病院に行かなくていいように応援してくれているので、「開かなかったら病院行くから、もう、いいよ」なんて、そんなこと、もちろん言える訳もなく。。。無力に陣痛が来る度に、唸って、叫ぶ。
2時間経って、7日午前1時にミッドワイフが内診。結果…「6cmになってなきゃいけないけど、8cm開いてる!」おぉぉぉぉっ、よかった。というわけで、またもや、病院のがれる。
で、そこからcervixが完全に開いてないのに、プッシュしたくなる陣痛が次々と襲って来て、痛さがさらにパワーアップ。 痛いのなんの!! 今はまだプッシュしても体力の無駄遣いだから、プッシュするなと言われても、痛いし、力はいっちゃうし。
8cmまで開いたのはいいけど、その後また数時間cervixに何かがひっかかってるだか、なんだかよくわからないけど、開いたらでてきて終わりだと思ったのに、まだ過程があるらしい。そして、何が原因で進んでないのか、説明を受けたが、この辺、あまり記憶がない。
その後、プッシュしてよくなってからでも、数回がんばれば、産まれると思っていたのに、プッシュすれども、すれども、どうにもならない。
で、ミッドワイフに『後、数回プッシュしても赤ちゃん出てこなかったら、救急車呼んで病院連れて行くから』と 言われることになるわけなのです。
それから、多分、「数回」以上、がんばったと思う。
出産の体勢は、スクワッティング(中腰)と座って。
頭が出かかっているときに、またミッドワイフに「切ってもいいか?」と聞かれ、私を後ろから支えているパートナーは「会陰切開ってこと????」って、怪訝な声をだしているが、私は「切っていい、切っていい!!!! 切っていいから、早くだしてぇ!!!(というようなことを、多分言っていたと思うが、英語でどう言っていたかなどは全く覚えていない)」
この辺りは、大変だったけど痛かったという記憶はない。頭がでてしまうと、結構一息つけて、次の陣痛で一気に体だしてあげてね、と言われる。頭触ってみる? とか自分で赤ちゃん取り上げてみる? とか言われるけど、(今、考えるとそうできていたら素敵だったけど、そのときは)もうプッシュして産む以外のことをできる気がしなくて、何言われても、頭振っていた気がする。
で、産まれた感想が、「お、おわった…。」紫色のベイビィちゃんも、ぐったり疲れているらしく、元気に「おぎゃー!」って泣くのではなく、「ふにゃ…にゃ…にゃ。」って感じ。アプガースコアという10点満点で採点される赤ちゃんの状態の産まれてすぐのスコアは6点。(その後、1分後のスコアは10点でだいじょうぶになった)
ベイビィちゃんが、なかなかでてこなかったのは、へその緒が首に巻いていたから、だったらしい。
その後、プラセンタ(胎盤)も、自然にだしたかったけど、私の体が保たないと言われた。たしか何か注射されたような気がする。「プラセンタ、どうする? こちらで処分する?」とミッドワイフに聞かれ、パートナーと付添人の友達が、どちらも激しく「いるから、置いていって!」と言っているのが聞こえた。(後で、自分ちの冷凍庫で、袋にはいっているプラセンタ発見。どこか素敵な場所を探して、埋めて自然に戻すらしい。)
その後、カンガルーケア(赤ちゃんを裸のまま抱いて、母子の最初のふれあいの時間をもつこと)も、1時間くらいしていたいという希望だったけど、ちょっとしかできなかった。(と、思っていたら、後で聞いたら30分くらいは抱っこしていたらしい。ここから先の記憶は、叔母と母に話を聞いてかろうじて、思い出せるくらい。)
それから、寝たけど、出産の興奮が冷めきらないのか、ちょっと泣きそうな気配のベイビィちゃんを察して、すでに「母の自覚」が産まれたのか、数時間で目が覚めた。
ちょっぴり泣きそうなベイビィちゃんの顔を見て、初めて「赤ちゃんを産んだ」っていう実感がわいてきた。愛おしい、守ってあげなきゃ、かわいい、そんな感情がどっと押し寄せる。
「出産」という過程で神秘的な感動があるのかと思ったけど、私の場合は、出産して「母」になったということ、その感動と、感情の変化が、神秘的な体験であり、スピリチュアルな感覚であり、恍惚感をもたらした経験になった。
私とパートナーが出逢って、ベイビィちゃんが宿って、私のおなかの中で9ヶ月育って、この世に産まれてきたベイビィちゃん、ありがとう。
陣痛が始まって6、7時間くらいの6日未明くらいにプールにお湯をいれてもらった。その頃から、陣痛の間隔は6、7分に1回となっていたけど、ミッドワイフを夜間に呼ぶ場合は、10分に3回になってから、なのでプールにはいって、陣痛をやりすごしていた。プールは、結構深くて、ゆっくり横になっても十分ゆとりがある広さ。
写真はワタシとパートナー(ワタシより長い髪で、頭の上で団子状にしてまとめていたので、2人して同じ髪型(笑)基本的には彼よりも付添人の友達が常に私と一緒にいてくれた。
「痛みに負けちゃダメ。痛みをコントロールできるようにならないと。一度、その痛みをコントロールできると、次はもっと痛くなるけど、同じようにコントロールして。そして、どんどん少しずつ強い痛みをコントロールできるようになっていくのよ」と教えられた。
彼女がいてくれたおかげで、私は長い陣痛を耐えれたのだと思う。
* 後記 *
写真も彼女が撮ってくれていたため、私と彼女が一緒の写真は私のカメラにはありません。出産経験のある彼女が撮ってくれたいろんなシーンは、すごくいい思い出になりました。気兼ねなくいろんな場面を写真として残せるのも、自宅出産のいいところかもしれませんね。今回は、あえて小さな写真を使ったので見づらいかもしれませんが、なんとなくの雰囲気がわかればいいなと思います。
陣痛の合間の数分、眠りにおちて体力温存。陣痛の間隔が5分から8分の間っていうのが、6日の3時くらいから、ずっと続く。6日の昼には、後12時間もこの状態を我慢して、7日に産むっていうのは、きっと、もう無理だ、と思っていた。
出産シーン。
後にパートナーが私を支えています。彼に座る形の中腰で出産しました。一番力がはいる体勢になってみてと、ミッドワイフからいくつかのポーズを提案してもらいましたが、私にはこの体勢が一番プッシュできる体勢だったみたい。
こうして産まれたのが、私の大事な大事なムスメです。明日、2歳になります。
健やかにのびのびと元気いっぱい育っています。
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これまでワタシの個人的な妊娠/出産の回顧録を読んでもらってありがとうございました。
<おわり>
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