2010/10/19

コドモジカン



時間って、みんなに平等に与えられているものだって
わかっているけど、どうしてこんなに感じ方が違うんだろう?

子供が生まれる前の時間と、生まれてからの時間。
子供が起きているときの時間と、寝ている時の時間。
ワタシの時間と、ムスメの時間。
オトナになってからの時間、コドモだったときの時間。

そう、コドモジカン。

コドモにはコドモの時間がある、と思う。
でも、オトナになったら、コドモジカンがどんなだったのか
すっかり忘れちゃってた。最近、すっかりコドモになったムスメをみて、
ちょっとだけ思い出した。

何かに熱中したら、その時間はコドモにとっては永遠。
飽きてしまったら、暇な時間はいてもたってもいられない。

コドモの頃って、何もかもが新しくて、冒険で、挑戦で、刺激的で
1日が長くて。楽しみなイベントがくるまで、指折り数えつつ
「いつまでたっても来ないんじゃないか」って思うくらい長くて。


コドモは時間を有効に使おうなんて、考えない。
自分がしたいと思うことを、したいと思うようにする。
そのためにどんなに時間がかかっても、関係ない。
そして、気が済むまで遊ぶ。

こういうコドモジカンって、機能的に行動しようとする
オトナの時間の使い方と全く次元が違う。

時間って、よく考えるとあってないようなものかも。
楽しいことをしている1時間は、あっという間なのに
苦痛を感じているときの1分はものすごく長い。

つまりそれは、実際の時間よりも、その時間をどう過ごすかで
時間の長さの感覚が変わるってこと。そのとき、そのときを
楽しんで、大切に、過ごせば、オトナでもちょっとだけコドモジカンに
なるかも、しれないね。

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