2010/08/30

今日の離乳食:三色ごはん

+++三色ごはん+++

かぼちゃ
トマト
アスパラ+小松菜

ゆるゆるごはん







かぼちゃ ー 圧力鍋で一気にたくさん柔らかくして、小分けにして冷凍庫で保存。
トマト ー 熱湯に1分ほどいれて、皮を剥き、種を抜く。
アスパラ + 小松菜 ー 小松菜は軽く茹でて、一房ごとに冷凍庫で保存。
冷凍のままみじん切りして、煮る。アスパラ、ゆでる。


なるべく、赤いものと、黄色いものと、緑のものを食べるようにしています。

2010/08/26

ヨガ ー 「つながる」ということ

『ヨガ』という言葉の語源は、サンスクリットの「yuj(ユジュ)」
(「馬にくびきをかける」という動詞)から派生した名詞
なんだそうです。

【頸木】(くびき) ー 車の轅(ながえ)の端につけて、
牛馬の後頸にかける横木。『広辞苑』より

馬と馬車をつなぐ「くびき」のように、「つなぐもの」というのが
yogaの語源だとされています。

私たちの世界には、たくさんのものがつながっています。
地球 と 宇宙
私たち と 自然
人 と 世界
私たち と 社会
私たちのそれぞれの体 と 心
魂 と 魂

こういったものをつないでいるもの、つなげるものが「ヨガ」
なんだと思います。

ヨガというと、ヨガのポーズのことを言っている場合が多いかも
しれませんが、ヨガというのは、5000年くらい前のインドで
発祥した哲学です。

その頃の哲学は、神話と宗教と科学などが混じりあって、
ひとつの生き方を学ぶ学問/実践法で、仏教もヨガを修行法と
して、取り組んでいたみたいで、その他の多くの仏教用語の
ようにサンスクリット語を音読みして「瑜伽(ゆが)」と
呼ばれていました。

ヨガが目標とするのは、「解脱」
苦悩や束縛や輪廻転生から脱すること、
悟りの境地に達することらしいのだけど、
それがどういうものなのかは、ここではおいておいて。

簡単に、言い換えると、

どうしたら、人はより幸せになれるのか?
どういう生き方をすればよいのか?

と、いったことを追求しているのだと思います。

幸せになるためには、苦を取り除かなければならず、
苦を取り除くためには、健康な体と精神であった方がよく、
健康な体をもつために、ヨガのポーズが発展していって、
健康な精神を保つために、瞑想したり良い行いをしたりする。

これが、大きな意味でヨガを学ぶということです。


たくさんのモノに溢れている物質社会で、
いろいろなモノに追われて忙しすぎて、
何か大切なことを忘れている人が多い気がします。

人と人のつながり、人と自然のつながり、
心と体のつながりを無視している人も多い気がします。

そういった「つながり」を学ぶのがヨガ。

ヨガ的な考え方は、置いてけぼりになっている大事な
ものに耳を傾ける機会を、私に与えてくれました。
私のライフスタイルを見直すきっかけになりました。

そんなワタシのヨガのハナシを、少しずつ書いていければと思っています。

2010/08/25

失敗...その後(おそろいの服)

おそろいのパンツを作ろうと、はりきって作ったのに、
ムスメのパンツは、かなぁ〜〜〜〜〜〜り小さすぎで
失敗してしまった。詳しくはこちら

数日、放置していたけど、がんばって昨日修正完了。
右前、右後、左前、左後とそれぞれに5cmくらいの
布を縫い込んで、縫い代はめんどうだったので、
アイロンで押さえるタイプのものにして、ちょっとズル。
フレア部分は、ワタシのより明るい色の生地にして完成。



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2010/08/24

ユーラシア大陸の旅 #7

これまでの話しは『ユーラシア大陸の旅』をどうぞ。

***


『アルタイ トレッキング + 日食』 #2

トレッキングに行く前に1泊したベースの村の宿泊施設にて。


ポイをしているワタシの後ろにあるバンガローに泊まりました。

トレッキングの始まりです。
歩く行程は思ったより全然簡単だったけど、予定外だったのは、全ての荷物を自分で担がなければならなかったこと。 (自分の着る服だけでなく、テントや寝袋やマットやさらに食料も持たなきゃいけなかったのです!!! ロシアじゃそれが当たり前らしいが、私も含めツアーに参加していた外国人はみんなびっくり。かなり交渉したけど、どうしようもありませんでした。)

気持ちよい森の中をトレッキング。
すごく重たい食料品や調理器具は、馬が運んでくれます。(最初の数日のみ)


ビキニトップのおねーさんは、ツアーガイドの1人。たくましく、タフな人でした。(が、全く英語わからなかったので、あまり交流しませんでした。)
水が近くにあるところで、食事です。(水はもってきていないから。ガイドは、どこで新鮮な水があるか、わかっています。)


ごはんができたら、自分の食器を持って、いれてもらいます。

トレッキング中の食事は、私はベジタリアンフードを
リクエストしていて、OKだということだったので安心していたら、 単純に肉をいれる前のシンプルな味付けのごはんだけとか、 粉で作るマッシュドポテトとかで、「確かに肉ははいって いないけど..」という程度のものでした。

トレッキング中の食事は、私はベジタリアンフードをリクエストしていて、OKだということだったので安心していたら、 単純に肉をいれる前のシンプルな味付けのごはんだけとか、 粉で作るマッシュドポテトとかで、「確かに肉ははいって いないけど..」という程度のものでした。

入山して無事を祈願する意味のある布が木に結ばれていました。こういうのって、結構どこでも一緒なのかな?


まだまだ続きます。。。

つづき:ユーラシア大陸の旅 #8 『アルタイ トレッキング + 日食』 #3


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今日の離乳食:手づかみランチ


+++手づかみランチ+++

ゆるゆるごはん

ポテト
豆腐
ひじき
ブロッコリー
タマネギ
にんじん



つぎは なにに しよ〜〜〜かなぁ。
わたし おとうふ だいすき。

にんじん すき
たまねぎ すき
おいも... う〜ん、まぁまぁ。

この くろいの おっけぇ。


やっぱ、つぎも おとうふ だわ!










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2010/08/22

ユーラシア大陸の旅 #6

これまでの話しは『ユーラシア大陸の旅』をどうぞ。

***


『アルタイ トレッキング + 日食』 #1
<期間>12日間
<歩く距離>112km

ノボシビルスクからバスで約16時間ほど、南下したカザフスタンの国境から80kmくらいのアルタイの村からトレッキングスタート。
その村に行く途中でみつけました。一番上の右の看板の4590km先にあるのは『TOKYO』 ー 近いのか? 遠いのか?

途中、休憩したところ。この辺りはもうアルタイ地方になるみたい。住人たちも白人のロシア系ではなモンゴル人やトルク人に近い(つまり私たちに似ている)感じでした。

(ロシアだけでなく)いろいろな国で見かける日本の中古車。日本車とわかるよう日本語は消さないのがいいらしい。塗り替えのペンキ代がもったいないというのもあるらしいけど。まぁ、日本車は中古であっても新車であっても、いいって世界から認められている証拠です。

検問で待たされていることろ。2台のバスが、アルタイ日食ツアー。95%はロシア人。

1台は山に登るトレッキング。私が行くのは、湖をめぐるトレッキング。
のどかなところです。

アルタイ地方は、世界で最も海から遠い場所みたい。 それも、そうだ。だって、ユーラシア大陸のちょうどど真ん中に位置しているのです。

気候も多岐に渡っていて、そのため山の景観も氷河や 乾いた岩山、緑の山々、草原、様々な高山植物、乳白と ターコイズが混ざったような色の湖、鏡のように周りの 景色を映し出す大きな湖、絶壁の崖から落ちる滝、 何段もの段差から流れ出す滝、いたるところにある川。

もう大自然のど真ん中で毎日トレッキング。
天気もすごくよくて歩いていてとても気持ちよかったです。

つづき:ユーラシア大陸の旅 #7 『アルタイ トレッキング + 日食』 #2

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2010/08/20

今日の離乳食:めんたいごはん(もどき)

+++めんたいこごはん(もどき)+++

なんちゃってめんたいこごはん

きゃぺつスープ









<なんちゃって めんたいこ ごはん>
ゆるゆるごはんの上に、茹でた豆腐、小松菜、にんじん、
ひじきを細かく切ったものをのせ、その上に茹でたトマト。
(全くめんたいことは、関係ないけど、今日のワタシの
ランチがめんたいこごはんでした。)

<きゃべつのスープ>
みじん切りにしたキャベツをことこと弱火で長く煮る。
柔らかくなったら、ブレンダーでなめらかにする。



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ユーラシア大陸の旅 #5

これまでの話しは『ユーラシア大陸の旅』をどうぞ。

***

ノボシビルスク (ロシア)



到着時の時刻:5時
到着時の気温:19度
到着時の天気:曇/小雨

日本との時差:ー2時間
言語:ロシア語(キリル文字)

ノボシビルスクは、とぉっても大きな街で、空港から中心地まで、成田から都内のようにずっと建物や工場などが立ち並んでいます。 1時間まるまる走って、中心地までくると大渋滞。大都会。



ロシアの入国スタンプは、蛍光オレンジで飛行機の羽がぴょ〜んと曲がりぎみで、とってもファンキーなスタンプ。




ノボシビルスクから、アルタイ山脈の麓の村へいくまでの道は、お天気もよく、空も広くてとても気持ちがよかった。

アルタイ山脈は、カザフスタンと中国とモンゴルの国境ぞいにあるためか、アルタイ地方にはいるときに、検問があってパスポートやビザをすごいしつこく調べられました。


写真は、その検問のところで、調べが終わるの(1時間以上かかった)を待っている間に撮ったもの。

アルタイ山脈では10日間程トレッキングして、日食を見ます。

***

つづき:ユーラシア大陸の旅 #6 『アルタイ トレッキング + 日食』 #1

2010/08/19

昨日の離乳食:水炊き


+++水炊き for baby ごはん+++

ゆるゆるごはん

水炊き




<ゆるゆるごはん>

<水炊き> 豆腐、しめじ、にんじん、白菜、おくら ー 茹でただけ


食べさせるときは、しめじはつぶして。白菜も食べやすいようにして。

2010/08/17

ユーラシア大陸の旅 #4

サマルカンド (ウズベキスタン)

これまでの話しは『ユーラシア大陸の旅』をどうぞ。

美しいブルーの丸いドーム、びっしりとモザイクが施されたミナール(塔)、三方を50m近い門で囲まれたレギスタン広場は、ずっと眺めていても飽きない美しさ。

空の青さもモザイクのブルーに負けない
くらい済んでいて、気持ちよくなります。
広場の正面からメドレセ群を眺めると
そびえ立つ門の荘厳さと華麗さにうっとり。

美しい空の青を背景に、紺や水色や
蒼や碧など様々な青色のモザイクに
縁取られた建築物。広場の周りには
緑の木々と色とりどりの花が咲き乱れ、
サマルカンドが『青の都』『イスラムの宝石』
などと呼ばれた訳がわかります。

門から中に入ると、中庭を囲むように
四方に2階建ての建物があり、中庭には
オアシスらしく木々が木陰をつくり、
人々はベンチに座り話したり、
バッキャモンをしたりしています。

サマルカンドへ来る前までは、勝手に
砂漠の中にぽつんとこの建物があるのかと
想像していたのですが、実際のサマルカンドは
緑と花と噴水が溢れるとても自然豊かな街。

夜になるとレギスタン広場も
グルエミール廟もライトアップされ、
昼間とは違う美しさを楽しめます。

サマルカンドでは、ロシア系のウズベキスタン人と仲良く
なって、一緒にいろんなところに連れていってもらったりしました。

なんと、おうちにもお邪魔して、お母さんの手作りのボルシチ(ロシアの
代表的なスープ。実はウクライナのものらしく、ウクライナ 出身の
お母さんが作ったボルシチはかなり本物???) 食べたり、おばあさんと
言葉通じないけど会話してみて 心通わせてみたりと、ウズベキスタン人の
家庭訪問はかなり 楽しめました。

夜は若者が集うようなところで一杯飲んだり、お散歩したり。

最後は空港まで見送りにきてくれました。(それがロシアの伝統なのだそう)

旅先の印象は、そこで出会った人によるところが大きい。
サマルカンドは彼らのおかけで、とてもよい思い出の地となりました。



***

つづき:ユーラシア大陸の旅 #5 『ノボシビルスク (ロシア)』


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2010/08/16

今日の離乳食:ワンプレートランチ

+++ワンプレートランチ+++

パプリカ+だいこんごはん

小松菜+豆腐

ひじき+しらす

トマト

レタス




<パプリカ+だいこん ごはん> パプリカとだいこんを茹でて、
ゆるゆるごはんとごはんと混ぜる。茹で汁はスープに。

<小松菜+豆腐> 小松菜ー茹でてつぶす。豆腐も軽く茹でる。
小松菜と豆腐をあわせてあえる。

☆小松菜は旬の野菜ではないのだけど、鉄分が豊富なので
一束買ってすぐに茹でて、一房ごと冷凍してます。

<ひじき+しらす> ひじきは水で戻しす(10分程)
しらすも水につけて塩抜きする。茹でて細かくする。

<トマト+レタス> トマトは湯剥きして、種をのぞく。
レタス細かく切る。



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2010/08/15

ばなな

今日のおやつは、ばなな。

「ばなな」と聞いただけで、うっきうき♪

#1 ばなな

ば〜
(本人は「ばなな」のつもり)


本の写真で見たことあるので、
皮がついたばななも、ちゃんと
ばななだと認識しています。



#2 ちょいとつまんで。。。

そぉーっと、つまんでいる様子。

本当は、ビブ(スタイ)つけて
「いただきます」してから
食べるのに、こっそりつまんでいます。







#3 食べてみる...?

なんとなく、つまんで
口にもってはいったけど。。。

もちろん、何も食べれてません。






#4 マミー?

ねぇ、ねぇ。
ば〜 は?

わたし、まってるんですけど。






#5 やっと!!!!!

やった、やった!
わーーーーーい!

ば〜〜〜〜〜〜!






#6 おいしい!

すごぉ〜〜〜〜〜〜〜く
おいしぃ〜〜〜〜〜〜〜。

ば〜
だいすきっ!







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2010/08/14

あ...失敗。

おそろいの服を作ろう!

はりきって、まずはワタシのを。

パターンは、いつもと一緒。
(タイで購入したゆるゆるパンツを
元に、自分でパターン作成したもの)

膝下は軽い布で、ギャザーをいれて
幅広パンツにアレンジ。慣れている
形なので、半日で完成。



次に...ムスメのパンツ作りに初挑戦!

ムスメのものは、最近よく着ているパンツから
紙でパターンをとることにした。

小さいからあっという間にできちゃう。
ふふふのふぅ〜ん、ってな感じで形ができた
ところで、ちょっと履かせてみた。

あっ...
ちっ...ちゃ...いぃぃ。。。。

モデルにしたパンツは、のびる素材の布でできていた。
うちのコ、案外、いえ、とっても下半身ぽっちゃりだわ。
そういえば、イギリス人の女の人って下半身大きい人
多いよなぁ。ちがう、ちがう。そんなことはおいといて。

せっかくおそろいにしようと作っているこのパンツ。
小さすぎて、はいりません。

あああああああああああああああああああ、失敗。



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2010/08/11

今日の離乳食:カラフル・ランチ


+++カラフル・ランチ+++

米粉パン

彩り野菜と豆腐

トマトスープ

デザート:バナナ





<米粉パン> 卵を含むアレルゲンになる25種とグルテンがはいっておらず、
砂糖ではなく甜菜糖、油もオリーブ油を使っている子供用のパン

<彩り野菜と豆腐> イエローパプリカ、ピーマン、にんじん、豆腐
にんじんは早めにいれ、しばらくしたら残りの野菜と豆腐を加えて茹でる。

<トマトスープ> 上の野菜の茹で汁に湯剥きして種をとったベビー
トマトをいれて茹でて、ブレンダーで滑らかにする。

<デザート> バナナ2切れ


パンはかたいところも、口にいれてもぐもぐしていたので、
噛む練習にとてもいいみたい!

2010/08/10

平和について(後編)

ムスメの父親と別れた一番大きな原因は、互いに
歩み寄れる生活を築けなかったからだった。あまりにも
育ってきた環境が違い過ぎた。考え方が違い過ぎた。

互いに旅している間に出会って、旅の途中で妊娠した。
彼がEUパスポートを持っているので、EU圏はどこでも
住めるし、仕事もできるので、つきあいだしたスペインで
生活をしようと家を借りて仕事を探した。

世の中はちょうどリーマンショックで、世界中が不況の
どん底に落ちているときだった。(ネットがない生活を
していたので、知らなかった。)

スペインで3ヶ月生活した後、もっていたお金がつきてしまい、
彼はイギリスへ仕事と家を探しに、私は妊娠3ヶ月だったので
日本へ帰ってきた。

何度も何度もスカイプを通じて、これからどうするのか
話し合ったけど、理想ばかり追い求めて仕事を見つけれない
彼に私はすごい不安を感じ、そのまま日本で1人で産もうかと
随分悩んだ。彼が仕事と家を見つけれない限り、ちゃんとした
ビザが降りない。そして仕事も貯金もない彼と、どうやって
赤ちゃんを育てていけるのか考えれば考える程、不安になった。

話し合いは、全く歩み寄れず、私は仕事が決まるなどの「安定」を
求め、彼は「まずは一緒になること」と譲らなかった。

結局、産まれてくる子供のことを考えて、私は妊娠8ヶ月で
観光ビザでイギリスに入国した。彼は私の観光ビザが切れる
半年以内で、今後の生活を安定させると約束した。

彼は、人間的にはものすごく個性的でおもしろい人だと思う。
ものすごく魅力的な人だし、いろんな才能もあると思う。ただ
彼自身の個性が強すぎて、まげることを知らない。妥協もしない。
遠くでみている分には、興味深い人だ!と言ってられるけど、
一緒に暮らすのは、すごく大変だった。

ましてや、私にとっては、はじめての妊娠。
これまで好き勝手してきたくせに、人生ではじめてというくらい
「守り」の体勢、考え方になっている時期だった。

お互いの主張があまりにも違いすぎるので、いつも
口喧嘩をしていた。口喧嘩をすると、彼はものすごく気が荒くなり
言葉も身振りも考え方も強くなった。私はその彼の気性の激しさに
のるように自分も声をあらたげる状況がとてもイヤで、ケンカになると
口をきかないか、友達のうちに逃げていた。ケンカをせずに状況を
改善する方法を模索しながら、言いたいことを言えずに、我慢が
爆発したらプチ家出して。。。

子供が生まれてからも、それは変わらなかった。
むしろ、子育ての見解の違いで、ケンカしたくなることは
さらに増えた。彼もいろんな仕事をトライはしたけど、
お金になることはなかった。

一度、ものすごいケンカをしたときに、私が「日本に帰る!」と
言ったら、彼が「帰るのなら、ムスメの親権はキミにはとれない
ようにする」と言われた。私たちは事実婚でイギリスでは事実婚も
結婚と同様の権利が認められている。ムスメの親権は2人とも持って
いたし彼に仕事がないことや、彼の気性の荒さなど法的に争ったら
勝つ自信はあった。あったけど、実際に外国でそんなことしたく
なかった。その大喧嘩から私は全てをあきらめて、まずは日本へ
ムスメと帰ることだけを待ち望んでいた。

半年が経ち、彼の仕事が決まったらイギリスに戻ると約束して、
私は日本に帰ってきた。数ヶ月たって、友達の仕事を手伝いは
してたけど、ビザをとれるほどの仕事ではなかったので、彼は
また私に観光ビザでイギリスに来て、と言った。

そこから、私たちの別れ話が始まった。
どうやったら、ケンカをせずに暮らしていけるのだろうか。
どうやったら、彼に私が求めていることをわかってもらえるのだろうか。
どうやったら、彼が怒った時の強い怒りのパワーを押さえることが
できるのだろうか。いつか、私は、彼を癒せるときがくるのだろうか。

彼は、アパルトヘイト政策下の南アフリカで、イギリス系の
両親の元、特権階級の家に生まれ育った。おうちは、ものすごい
お金持ちだったけど、両親は彼が小さい時に離婚。その後、彼の
お父さんは彼が中学生くらいのときに、ブラックマンデーの株の
暴落で全財産をなくし、彼は大学への進学をあきらめた。

その後、南アフリカはアパルトヘイトがなくなり、白人として
生活するのが大変になり、イギリスと南アフリカを行ったり
来たりして生活。

イギリス系白人と、オランダ系白人と、現地のアフリカ人が
それぞれ対立している歴史の中で、お金やパワーでアフリカ人を
押さえつけていた国で、植民地だったからかアフリカの習慣
からか、男性がものすごく強い文化の中で育ってきた彼。

彼の南アフリカでの話しは、平和な日本に育った
私には、びっくりするような話しばっかりだった。

彼は、私との事実婚を含め、3度の結婚と、3人の子供。
欲しがっているのは、暖かい家庭なのに、暖かい
家庭を知らないから、どうやってつくればいいのかわからない。


もしかしたら、私が彼が欲しがっている愛情溢れた家族を
彼にあげれるのかもと思っていたけど、簡単なことではなかった。

悩みに悩んで、私は日本に残ることを決めた。
「ムスメが父親と暮らせないこと」と、「父親と暮らせるが
両親はいつも口論ばかりしている」と、どちらがいいのか
考えた結果、私一人であっても、私といる方がおおらかに
愛溢れる生活をあげれると思った。

彼は、私がいい母親であることは認めてくれていたので、
最後は泣きながら、了承してくれた。彼は南アフリカに帰った。

これからムスメが大きくなって、パパに会いたいといえば、
南アフリカに会いに行こうと思う。

私はすごく、すごーーーーく、世の中が平和になることを願っている。
私自身も平和な人でありたいといつも望んでいる。

なのに、平和の一番小さな単位である自分の家族を
平和にすることができなかった。ムスメの父親である彼に、
平和で暖かい家庭をあげることができなかった。

そして、そのことはこれからもずっとムスメといる中で
考え続けていくことだと思う。世界に願う平和と、私の平和。
願い望めば、いつか叶うと信じている。



2010/08/09

平和について(中編)




これまで旅してきた国々の中で、印象に残る国はたくさんあるけれど、
平和について一番考えさせられたのは、イスラエルだと思う。

イスラエルには3週間滞在した。
停戦中とはいえ、いつ爆撃が始まるか、自爆テロがあるか、
わからないところである。特に首都のエルサレムでは、常にすっごい
マシンガンみたいな銃を肩から下げている軍人が街中にいて(しかも
銃弾はいっているらしい)、50メートル置きに頑丈な爆弾処理用の
箱が設置されており(自爆テロを試みようとする人の爆弾のはいった
リュックなどをこの箱にいれると、周りに被害を及ぼさず箱の中で
爆発するらしい)、そして、洋服屋さんにはいるにも、マクドナルドに
はいるにも、バスステーションに入るにも、セキュリティチェックが行われる。

人々は常に、周りの危険を察知できるよう辺りに目を配り、不審な
人や物がないか確認をしている。人々のそのような気が張った状態で
エルサレムの街の空気は、ぴりぴりしていた。そのような中に
身を置いて始めて、「これが『平和じゃない』っていうことなんだ」と
理解した。平和じゃない空気にふれて始めて、平和がわかった気がした。


イスラエル人の友達はみな誰かを戦争のせいで亡くしているという。
18歳になったら、男の子だけでなく女の子も軍隊に行く義務がある。
軍隊で、ガザの最前線に配置され、スナイパーになった男の子にも会った。

私は仲良い友達で、誰も「殺された」友達はいない。
自分も含めて、軍隊にいったことある友達もいない。
誰かを殺したという友達もいない。
戦争がはじまったら、徴兵されるという心配もない。

それが当たり前だと思ったけど、当たり前じゃない国もある。
イスラエル人に、日本では徴兵はどれくらいの期間なの?と
聞かれたので、日本に(自衛以外の)軍隊はないと言ったら、
すごくびっくりされた。


エルサレムでお世話になった友達の家族の家では、テレビや新聞の
政治や戦争に関する ニュースを見ない(読まない)という。 

イスラエルでは、首相が変われば政策も変わる。政策が変わると、
パレスチナとの摩擦状況も変わる。状況が変わると、 それに
反発するパレスチナ側は、軍隊を持たず発言方法もあまりないため、
テロという手段にでる。テロが起きると、 イスラエルは報復したり、
軍事力で抑え ざるをえない。それにより市民の犠牲が増える。
それに反発した市民から別の 政策を持った政治家が選ばれる。
そして また状況も変わる。。。。 その繰り返し。 


私が話したイスラエル人は、誰も戦争を望んでいなかった。
みんなが切に平和になってくれることを望んでいた。 

毎日、暗く悲しいニュースが伝えられ、 政治家の弁明や屁理屈が流される。 
このエルサレムの家族がニュースを 見ないのは「政治に無関心」だから 
ではないのだと痛感した。 

やるせない現実に心を痛めて、怒り 悲しみ、嘆くより、「無関心」に
振舞う ことで、日常をやり過ごすしかないのだ。 それが戦争が、今現実に
起きている国に住む 市民の精神状態を維持する自己 防衛なのかもしれない。 

これが、平和じゃないっていうこと。 



廃墟の街 :クネイトラ
イスラエルの後で、シリアに
行った。シリアの首都ダマス
カスから50キロ離れた場所に
あるクネイトラ。
現在、UN(国連)の管理下に
置かれたイスラエルとレバノン
国境の廃墟の街。

緑の美しい山と、雪に覆われた
山の静かでのどかに見える
自然の中にひっそりとある。 

緑の山はイスラエル。 
雪の山はレバノン。 





遠くに見えるイスラエルとレバノン
そんな複雑な立地にある
この土地は 、1974年
イスラエル軍によって破壊された。 



この無残な状況を歴史に
埋もれさせない ために、
破壊された当時のまま、
そっくり街が残されていて、
戦争の残酷さをむざむざと
思いしらされるところだった。 

シリアを一度訪れた人は、
イスラエル入国で大変とか、
逆もしかりで、イスラエルに
行った形跡がパスポートに
ある人はシリアに入れないって
知ってはいたけど(私は
パスポートにスタンプをおさないでもらった。
そういう配慮は国境でしてもらえる)、クネイトラを
訪れてようやくそれがなぜなのか本当にわかった気がした。 


廃墟の街は今では花が咲き、緑がいっぱいで小鳥が平和そうに
さえずっていて、余計に物悲しかった。 







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2010/08/07

平和について(前編)

ぼくの大好きな街、広島。緑いっぱいの美しい街です。65年前の8月6日、午前8時15分。人類史上初めて、原子爆弾が広島に落とされました。

一瞬のうちに奪われた尊い命。変わりはてた家族の姿。原子爆弾は人々が築きあげた歴史や文化をも壊し、広島の街を何もかも真っ黒にしてしまったのです。

しかし、焼け野原の中で、アオギリやニワウルシの木は、緑の芽を出しました。人々も、街の復興を信じて、希望という種をこの地に蒔きました。傷つきながらも力いっぱい生き、広島の街をよみがえらせてくださった多くの方々に、ぼくたちは深く感謝します。

今、世界は、深刻な問題を抱えています。紛争や貧困のために笑顔を失った子どもたちもたくさんいます。私たちの身近でも、いじめや暴力など、悲しい出来事が起こっています。これらの問題を解決しない限り、私たちの地球に明るい未来はありません。

どうしたら争いがなくなるのでしょうか。どうしたらみんなが笑顔になれるのでしょうか。ヒロシマに生きるぼくたちの使命は、過去の悲劇から学んだことを、世界中の人々に伝えていくことです。悲しい過去を変えることはできません。しかし、過去を学び、強い願いをもって、一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはずです。

次は、ぼくたちの番です。この地球を笑顔でいっぱいにするために、ヒロシマの願いを、世界へ、未来へ、伝えていくことを誓います。


平成22年(2010年)8月6日
 こども代表
  広島市立袋町小学校6年 高松樹南
  広島市立古田台小学校6年 横林和宏


(表記は原文のまま)


===================================
いつも、広島の原爆忌のこどもたちによる『平和の誓い』には、はっとさせられます。


すごく心に残っているのは、平成19年度の『平和の誓い』



今、テレビや新聞は、絶えることない戦争が、世界中で多くの命を奪い、今日一日生きていけるか、一日一食食べられるか、そんな状況の子どもたちをつくり出していることを伝えています。

そして、私たちの身近なところでは、いじめや争いが多くの人の心や体を壊しています。嫌なことをされたら相手に仕返しをしたい、そんな気持ちは誰にでもあります。でも、自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても、何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。

平和な世界をつくるためには、「憎しみ」や「悲しみ」の連鎖を、自分のところで断ち切る強さと優しさが必要です。そして、文化や歴史の違いを超えて、お互いを認め合い、相手の気持ちや考えを「知ること」が大切です。



これまでの『平和の誓い』




最近、乳児や幼児への虐待や、ネグレクトが問題になっています。
虐待やネグレクトをやってしまう人は、その親に同じように虐待や
ネグレクトされていたケースが多いといいますが、広島の子供たちが
いうように「自分の受けた苦しみや悲しみを他人にまたぶつけても
何も生まれません。同じことがいつまでも続くだけです。」


私は、私ができる「平和への第一歩」は、まず自分が平和になることだと
思っています。自分が平和になって始めて、周りの人を平和にできる。
そういう人が少しずつでも増えていけば、一人一人の力は小さくとも
集まれば大きな力になります。


平和なときには、平和の大切さは、あまり実感できません。
頭ではわかっているけれど、当たり前すぎて感謝し忘れるのだと思います。


旧ユーゴスラビアの戦争は、15年ほど前に近代のヨーロッパで起こった戦争です。
それまで違う人種、違う宗教観の人たちが同じところで仲良く暮らしていたのに、
ある日を境に、人種や言葉や宗教が違うもの同士が怒りをぶつけ合いだしました。


怒りはどんどん連鎖して、人々を奮起させ、戦争にまでなりました。
私が訪れたボスニア・ヘルツェゴビナの小さな村では、自分の家族を殺したのが、
村の誰かわかっているそうです。そして、その隣人と今でも小さな村で共に暮らして
います。その隣人に怒りを感じないといえば、ウソになるのかもしれませんが、
許すことにしているそうです。許さないと、日々の生活をやっていけないのだそうです。


家族を殺された仕返しをしたら、その隣人の家族にまた仕返しをされ、さらに
仕返しの仕返しを、、、と永遠に繰り返したのが、戦時中だったそうです。
怒りの連鎖からは何も生まれない。残ったのは悲しみと多くの犠牲。





今年の『平和への誓い』で、子供たちは、起きてしまった過去は変えれないけど、
「強い願いをもって一人一人が行動すれば、未来を平和に導くことができるはず」だと
訴えています。この子供たちの未来、私の子供の未来が、平和でありますように。
そして、平和な世界に少しでも近づけるように、私も強い願いをもって行動できますように。



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2010/08/06

ユーラシア大陸の旅 #3


ウズベキスタン共和国

首都:タシケント
到着時の時刻:19時
到着時の気温:37度
到着時の天気:晴天

日本との時差:ー4時間

飛行機の機内は、ほとんど日本人。
ウズベキスタンって、シルクロードだから日本人に
人気があるのかなと思いきや、降りたらウズベキスタンに
入国する人はわずか。ほとんどの人はイスタンブールへの
乗り継ぎだった。

ウズベキスタンの Passport Control は、カオス。
もみくちゃにされながら、入国して通関を通る。

<人種>ウズベク人ほか
ウズベキスタン人は、いろんな人種が混じっている感じ。
日本人っぽい人もいれば、アジア人と白人のハーフっぽい
感じの人もいるし、キアヌリーブスみたいにどこの国の
人っていえないような感じの人もいるし、中東っぽい人や
ロシア人な感じの人もいる。中央アジアだ。

ウズベキスタン人は、フレンドリーで人懐っこく
温和な感じ。お店の人もぼったくらないし、しつこくない。
バスの中でもパンクな感じの若者でさえちゃんと老人に
席を譲る。なかなか好感持てる人たちだ。

<言語>ウズベク語
ウズベク語は、アルファベットかキリル文字で表記
されていて、アルファベットだと意味わからなくても
駅名とか読める。が、キリル文字だと全然わからない。

<宗教>イスラム教スンニ派
ほとんどの人がイスラム教らしいけど、みんな牛も
豚も食べてるし、酒もよく飲んでいるし、女性は頭に
布などかぶらずキャミソールで外歩いているし、
朝から大音量でコーランとか流れていないし、昼間とか
夕方とかでもお祈りしている人なんかみたことない。

中東のイスラム国家とは大違いだ。

<気候>
タシケントに着いたのは夕方7時くらいで、37度。
体温より高いじゃんと思ったけど、からりとしているので
そこまで不快じゃない。

日差しが強くとても暑いが、乾燥しているので日陰に
入ると気持ちよい。(典型的な『大陸性気候』らしい。)
それでも日差しは強いので、あっという間に日焼けした。

<通貨>スム
100ドルを両替したら、1000スム札が130枚
くらいきて、分厚い札束になった。物価はそんなに高くない。


<食べ物>
アイスクリーム、最高においしい! 25円くらいの
フルーツシャーベットみたいなアイス、よく食べた!!

おかしもあまりハズレなし。


ごはんは、肉食のメニューが多く、ベジタリアンの選択は少なくなるけど、味的には全く悪くない。プロフという中央アジア風ピラフはよく食べた。それからシャシリクというケバブも有名らしい。私はベジタブルケバブをよく食べた。

<飲み物>
チャイ ー グリーン(つまり緑茶)とブラック(紅茶)


<タシケント>
官公庁や博物館があるあたりは、整備されていてきれいで近代的。緑も多く、木陰がたくさんある。

<治安> 
全く悪くないと思う。 
街には(アジアの割に)あまりゴミもなく、インドみたいに野犬がうろうろして、夜になると吠えまくっている、っていうことはない。


<その他>
タシケントには中央アジアで唯一の
メトロ(地下鉄)がある。料金は一律30円ほど。マクドナルドもKFCもスターバックスもない。

トランプを買ったら、6、7、8、9、10、Д、
B、K、T x 4セット という36枚のカード。絵柄はトランプなんだけど、数も少ないし、なんじゃ、これ?と思ったが、どうやらロシア圏では、普通らしい。

つづき:ユーラシア大陸の旅 #4 『サマルカンド (ウズベキスタン)』

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