2010/08/10

平和について(後編)

ムスメの父親と別れた一番大きな原因は、互いに
歩み寄れる生活を築けなかったからだった。あまりにも
育ってきた環境が違い過ぎた。考え方が違い過ぎた。

互いに旅している間に出会って、旅の途中で妊娠した。
彼がEUパスポートを持っているので、EU圏はどこでも
住めるし、仕事もできるので、つきあいだしたスペインで
生活をしようと家を借りて仕事を探した。

世の中はちょうどリーマンショックで、世界中が不況の
どん底に落ちているときだった。(ネットがない生活を
していたので、知らなかった。)

スペインで3ヶ月生活した後、もっていたお金がつきてしまい、
彼はイギリスへ仕事と家を探しに、私は妊娠3ヶ月だったので
日本へ帰ってきた。

何度も何度もスカイプを通じて、これからどうするのか
話し合ったけど、理想ばかり追い求めて仕事を見つけれない
彼に私はすごい不安を感じ、そのまま日本で1人で産もうかと
随分悩んだ。彼が仕事と家を見つけれない限り、ちゃんとした
ビザが降りない。そして仕事も貯金もない彼と、どうやって
赤ちゃんを育てていけるのか考えれば考える程、不安になった。

話し合いは、全く歩み寄れず、私は仕事が決まるなどの「安定」を
求め、彼は「まずは一緒になること」と譲らなかった。

結局、産まれてくる子供のことを考えて、私は妊娠8ヶ月で
観光ビザでイギリスに入国した。彼は私の観光ビザが切れる
半年以内で、今後の生活を安定させると約束した。

彼は、人間的にはものすごく個性的でおもしろい人だと思う。
ものすごく魅力的な人だし、いろんな才能もあると思う。ただ
彼自身の個性が強すぎて、まげることを知らない。妥協もしない。
遠くでみている分には、興味深い人だ!と言ってられるけど、
一緒に暮らすのは、すごく大変だった。

ましてや、私にとっては、はじめての妊娠。
これまで好き勝手してきたくせに、人生ではじめてというくらい
「守り」の体勢、考え方になっている時期だった。

お互いの主張があまりにも違いすぎるので、いつも
口喧嘩をしていた。口喧嘩をすると、彼はものすごく気が荒くなり
言葉も身振りも考え方も強くなった。私はその彼の気性の激しさに
のるように自分も声をあらたげる状況がとてもイヤで、ケンカになると
口をきかないか、友達のうちに逃げていた。ケンカをせずに状況を
改善する方法を模索しながら、言いたいことを言えずに、我慢が
爆発したらプチ家出して。。。

子供が生まれてからも、それは変わらなかった。
むしろ、子育ての見解の違いで、ケンカしたくなることは
さらに増えた。彼もいろんな仕事をトライはしたけど、
お金になることはなかった。

一度、ものすごいケンカをしたときに、私が「日本に帰る!」と
言ったら、彼が「帰るのなら、ムスメの親権はキミにはとれない
ようにする」と言われた。私たちは事実婚でイギリスでは事実婚も
結婚と同様の権利が認められている。ムスメの親権は2人とも持って
いたし彼に仕事がないことや、彼の気性の荒さなど法的に争ったら
勝つ自信はあった。あったけど、実際に外国でそんなことしたく
なかった。その大喧嘩から私は全てをあきらめて、まずは日本へ
ムスメと帰ることだけを待ち望んでいた。

半年が経ち、彼の仕事が決まったらイギリスに戻ると約束して、
私は日本に帰ってきた。数ヶ月たって、友達の仕事を手伝いは
してたけど、ビザをとれるほどの仕事ではなかったので、彼は
また私に観光ビザでイギリスに来て、と言った。

そこから、私たちの別れ話が始まった。
どうやったら、ケンカをせずに暮らしていけるのだろうか。
どうやったら、彼に私が求めていることをわかってもらえるのだろうか。
どうやったら、彼が怒った時の強い怒りのパワーを押さえることが
できるのだろうか。いつか、私は、彼を癒せるときがくるのだろうか。

彼は、アパルトヘイト政策下の南アフリカで、イギリス系の
両親の元、特権階級の家に生まれ育った。おうちは、ものすごい
お金持ちだったけど、両親は彼が小さい時に離婚。その後、彼の
お父さんは彼が中学生くらいのときに、ブラックマンデーの株の
暴落で全財産をなくし、彼は大学への進学をあきらめた。

その後、南アフリカはアパルトヘイトがなくなり、白人として
生活するのが大変になり、イギリスと南アフリカを行ったり
来たりして生活。

イギリス系白人と、オランダ系白人と、現地のアフリカ人が
それぞれ対立している歴史の中で、お金やパワーでアフリカ人を
押さえつけていた国で、植民地だったからかアフリカの習慣
からか、男性がものすごく強い文化の中で育ってきた彼。

彼の南アフリカでの話しは、平和な日本に育った
私には、びっくりするような話しばっかりだった。

彼は、私との事実婚を含め、3度の結婚と、3人の子供。
欲しがっているのは、暖かい家庭なのに、暖かい
家庭を知らないから、どうやってつくればいいのかわからない。


もしかしたら、私が彼が欲しがっている愛情溢れた家族を
彼にあげれるのかもと思っていたけど、簡単なことではなかった。

悩みに悩んで、私は日本に残ることを決めた。
「ムスメが父親と暮らせないこと」と、「父親と暮らせるが
両親はいつも口論ばかりしている」と、どちらがいいのか
考えた結果、私一人であっても、私といる方がおおらかに
愛溢れる生活をあげれると思った。

彼は、私がいい母親であることは認めてくれていたので、
最後は泣きながら、了承してくれた。彼は南アフリカに帰った。

これからムスメが大きくなって、パパに会いたいといえば、
南アフリカに会いに行こうと思う。

私はすごく、すごーーーーく、世の中が平和になることを願っている。
私自身も平和な人でありたいといつも望んでいる。

なのに、平和の一番小さな単位である自分の家族を
平和にすることができなかった。ムスメの父親である彼に、
平和で暖かい家庭をあげることができなかった。

そして、そのことはこれからもずっとムスメといる中で
考え続けていくことだと思う。世界に願う平和と、私の平和。
願い望めば、いつか叶うと信じている。