2010/08/04

ユーラシア大陸の旅 #2


『旅立ち』

人はなぜ旅に出ようと思うのか?
私の場合は、「思いつき」に近い。

と、前のニッキに書いたけど、
ホントは、「思いつき」だけじゃない。

旅に出ようと思った時というのは、確かに
思いつきに近い感じで、私の中に「決意」が
生まれるのだけど、なぜそう思うのか?

人生に悩んだ時、現実の中で自分を見失った時、
とてつもなく落ち込んだ時、自分1人ではどうしようも
なくなってしまった時、人は何かしらの「支え」を必要とする。

その支えを宗教に求める人、薬や医者に頼る人、
友達、恋人、家族にサポートしてもらう人、いろいろあると思う。

私の場合は、その支えは旅だ。

旅に出ることで、それまで固執していた考えから
解き放たれて、もう一度自分と向き合う時間が持てる。

悩んでいたことに対して、いったん考えないようにしてみることで、
結果、客観的にモノゴトを考えられるようになる。

大自然の中で、何も考えずにひたすら歩いている時、
突然、「あ、そういうことか」って、答えが出ることもある。

旅で出会った人や異文化の人と話しているうちに、
気づくこともたくさんある。

忙しい現実の中にいる時は、素通りしていた気持ちも、
ちょっと解放されたことで掴めたりする。

そうやって、私は旅をしながら、傷を浄化し、答えを見つけ、
自分を再生する。

私が私であるために。
旅は私にとって必要なもの。
だから、私の「人生は旅、旅もまた人生」と言い切る。



旅をする理由はまだある。
それは、私の果てない好奇心を満たすため。
より高く、広く、そして深い人になるため。

見たこともないものを見てみたい。
食べたことないものを食べてみたい。
全く違う考え方の人たちに会ってみたい。
世界で今何が起きているのか自分の目で見てみたい。

見たい。知りたい。感じたい。そして、自分自身で経験したい。
そういう絶えない好奇心の固まりが、私を旅へ駆り立てる。

そうやって、旅すればするほど、世界の広さを思い知らされる。
自然の偉大さと、人間の愚行を見せつけられる。

今、現時点でこの世界で起きている様々な困難、例えば
争いや飢餓や貧富の差からくる困難、そういうものに直面
した時に、幸せとは何かと考えさせられる。そして、
私は一体何ができるのだろうかと思う。

食べ物がなくて飢え死にする子供の話は、遠いところの話。
宗教と政治と金と権力のために争っている国は、ニュースの中の話。
文明という名の元に行われている破壊は、聞いたこともない文化の話。
無知だという理由での日常茶飯事の差別は、興味もない土地での話。

平和な日本にいて、会社で働いてお金があって、おいしいもの食べて、
非現実的な映画を観て、おシャレなお洋服を買って、温泉旅行に行って、
美しい芸術にふれることができる、そういう日常生活を送っていると、
争いや飢餓や貧困は、人ごとのように思うかもしれない。いや、実際、
人ごとだというのは事実だ。でも、同じ地球上で誰かの身に現実に
起きていると、認識すること。

つまらない日々を愚痴って不幸せになるより、
どれだけ恵まれているか自覚すること。
そしたら、きっと日々の生活が違ってくると思う。
見える景色も、他人への行動も、そして考え方も
ちょっとだけ違うものになっていくと思う。

五体満足でいられること。
食べるもの、寝るところに困らないということ。
友達や家族がいること。
平和だということ。
望めば何だって好きなことができるということを知っているということ。

私はそういうシンプルだけど、忙しい都会の生活で見失いがちな
小さなたくさんのヒントを旅から学んできた。そして、今も学んでいると思う。

世界は広い!
旅をして、いろんなもの見て、夢を形にしたい。

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最初の目的地は、ロシアのアルタイ山脈。
ウズベキスタン航空でノボシビルスクまで、
タシケント(ウズベキスタン)経由。





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