2010/08/09

平和について(中編)




これまで旅してきた国々の中で、印象に残る国はたくさんあるけれど、
平和について一番考えさせられたのは、イスラエルだと思う。

イスラエルには3週間滞在した。
停戦中とはいえ、いつ爆撃が始まるか、自爆テロがあるか、
わからないところである。特に首都のエルサレムでは、常にすっごい
マシンガンみたいな銃を肩から下げている軍人が街中にいて(しかも
銃弾はいっているらしい)、50メートル置きに頑丈な爆弾処理用の
箱が設置されており(自爆テロを試みようとする人の爆弾のはいった
リュックなどをこの箱にいれると、周りに被害を及ぼさず箱の中で
爆発するらしい)、そして、洋服屋さんにはいるにも、マクドナルドに
はいるにも、バスステーションに入るにも、セキュリティチェックが行われる。

人々は常に、周りの危険を察知できるよう辺りに目を配り、不審な
人や物がないか確認をしている。人々のそのような気が張った状態で
エルサレムの街の空気は、ぴりぴりしていた。そのような中に
身を置いて始めて、「これが『平和じゃない』っていうことなんだ」と
理解した。平和じゃない空気にふれて始めて、平和がわかった気がした。


イスラエル人の友達はみな誰かを戦争のせいで亡くしているという。
18歳になったら、男の子だけでなく女の子も軍隊に行く義務がある。
軍隊で、ガザの最前線に配置され、スナイパーになった男の子にも会った。

私は仲良い友達で、誰も「殺された」友達はいない。
自分も含めて、軍隊にいったことある友達もいない。
誰かを殺したという友達もいない。
戦争がはじまったら、徴兵されるという心配もない。

それが当たり前だと思ったけど、当たり前じゃない国もある。
イスラエル人に、日本では徴兵はどれくらいの期間なの?と
聞かれたので、日本に(自衛以外の)軍隊はないと言ったら、
すごくびっくりされた。


エルサレムでお世話になった友達の家族の家では、テレビや新聞の
政治や戦争に関する ニュースを見ない(読まない)という。 

イスラエルでは、首相が変われば政策も変わる。政策が変わると、
パレスチナとの摩擦状況も変わる。状況が変わると、 それに
反発するパレスチナ側は、軍隊を持たず発言方法もあまりないため、
テロという手段にでる。テロが起きると、 イスラエルは報復したり、
軍事力で抑え ざるをえない。それにより市民の犠牲が増える。
それに反発した市民から別の 政策を持った政治家が選ばれる。
そして また状況も変わる。。。。 その繰り返し。 


私が話したイスラエル人は、誰も戦争を望んでいなかった。
みんなが切に平和になってくれることを望んでいた。 

毎日、暗く悲しいニュースが伝えられ、 政治家の弁明や屁理屈が流される。 
このエルサレムの家族がニュースを 見ないのは「政治に無関心」だから 
ではないのだと痛感した。 

やるせない現実に心を痛めて、怒り 悲しみ、嘆くより、「無関心」に
振舞う ことで、日常をやり過ごすしかないのだ。 それが戦争が、今現実に
起きている国に住む 市民の精神状態を維持する自己 防衛なのかもしれない。 

これが、平和じゃないっていうこと。 



廃墟の街 :クネイトラ
イスラエルの後で、シリアに
行った。シリアの首都ダマス
カスから50キロ離れた場所に
あるクネイトラ。
現在、UN(国連)の管理下に
置かれたイスラエルとレバノン
国境の廃墟の街。

緑の美しい山と、雪に覆われた
山の静かでのどかに見える
自然の中にひっそりとある。 

緑の山はイスラエル。 
雪の山はレバノン。 





遠くに見えるイスラエルとレバノン
そんな複雑な立地にある
この土地は 、1974年
イスラエル軍によって破壊された。 



この無残な状況を歴史に
埋もれさせない ために、
破壊された当時のまま、
そっくり街が残されていて、
戦争の残酷さをむざむざと
思いしらされるところだった。 

シリアを一度訪れた人は、
イスラエル入国で大変とか、
逆もしかりで、イスラエルに
行った形跡がパスポートに
ある人はシリアに入れないって
知ってはいたけど(私は
パスポートにスタンプをおさないでもらった。
そういう配慮は国境でしてもらえる)、クネイトラを
訪れてようやくそれがなぜなのか本当にわかった気がした。 


廃墟の街は今では花が咲き、緑がいっぱいで小鳥が平和そうに
さえずっていて、余計に物悲しかった。 







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