2015/01/09

転換期

新しい年になりました。あけましておめでとうございます。クリスマスは、通常の物欲に負けて、エルサのものをもらうことにして、たくさんのエルサグッズ(文具や小物)をもらって、ムスメは大満足。まだまだ質より量なんです。

2014年は、海外に行くこともなく、飛行機すら乗っておらず、特に変わったこともなく「いつもの日々」を過ごしました。それは平和で幸せなことだけれども、いつまでもそこにいれるとは限りません。2015年は、よりよい未来のために、動きのある飛躍の年にしたいと考えています。

ワタシとムスメの2015年の大きな動きのひとつは、ひっこし(に、なる予定)。ムスメが生まれて、田舎に戻ってきて以来、小学校を選んで引っ越そうと考えていました。ムスメが年長になったら、じっくり探して準備しようと思っていたので、(ムスメはまだ年中の去年は)なんとなく全国のおもしろそうな小学校をネットで探してみるくらいで、特に何もしていませんでした。むしろ、ムスメが小学2年生にあたる2017年の夏にまた日食を見る旅を数ヶ月したいと思っていたので、それまではこのまま田舎にいて、旅から帰ってきたタイミングで引っ越すことを考えはじめていました。

その旅よりも、優先して引っ越すことにしたのは、あることがきっかけです。

ムスメの幼稚園は、3歳になると入園できるので、3歳になった年少々の子が随時はいってきます。

ある日、「あたらしいおともだちがはいってきたの。ハナちゃん(仮名)っていうんだよ。ムーとちがうおへや(クラス)だけど、ムー、おともだちになるの。」と興奮して幼稚園から帰って来ました。毎月の園だよりでハーフの子がはいることを知っていたので、その子のことを話しているのだなぁと思っていました。「ムーね、あたらしいおともだちに、おてがみかくの♡ かわいいシールもはってあげるの♡」とウキウキ。普通は別のお部屋の新しいお友達まではお手紙書いたりしないので、よっぽど嬉しい様子。

ムスメはハーフだとけど、家に外人(?)のお父さんがいる訳でもなく、日本語オンリーで育ててきているので、本人は他の人と違うとはほとんど思っていなくて、アイデンティティーも「(純)日本人」のつもり。だから、たまにハーフと気づいた知らない大人に「はろー」と言われたりすると、「ムー、えいごじんじゃないのに・・・」と不本意に感じるみたいだし、時々公園で知らない子(特に小学生など少し大きい子)に「外人みたい」と言われると、少し傷つくみたい。でも、「ママとおなじくろい髪がよかった」と言ったりするので、どこかで少し違うとわかっているところもあるんだと思う。本人は意識していないようだけど、公園などでハーフの子をみると、日本人の子よりももっと気になるみたいで、幼なじみはハーフの姉妹。(その姉妹とも、公園であったりするハーフの子とも、会話は全て日本語)

そんな「日本人なハーフ」のムスメの通う幼稚園では、これまでハーフはムスメひとり。そこに新しいハーフの女の子。ムスメはウキウキわくわくで新しいお友達のことを話していたのに、2、3日するとぴったりその子の話をしなくなりました。おかしいなぁと思って、「ハナちゃんはどうしたの? 仲良しのお友達になるんじゃなかったの?」と聞くと、ムスメは「あのこ、きらい」。あれれれれ?「なんで?」と聞いたら、「だって、ハナちゃん、ムーにえいごではなすんだもん。」「あら、ハナちゃん、英語しか話せないんじゃない?」「ちがうよ。だって、ほかのひとには、にほんごではなすもん」

生まれた時から、バイリンガルの環境で育てられた子は、(最初は言葉がミックスしていたとしても、ある程度になると)ちゃんと相手を識別して、それぞれの言語だけで話せるようになります。ハナちゃんは、そうやって日本語と英語を分けて話せるようなので、ムスメのことを英語を話す人だと認識したハナちゃんは、ムスメに英語で話しかけていたみたいでした。

「ハナちゃんに、ちゃんと『 ムーは、にほんごしかはなせないから、にほんごではなして』って言ってごらん?」とムスメに教え、ムスメがハナちゃんに伝えると、日本語で話してくれるようになって、ハナちゃんのこと嫌いじゃなくなりました。(でも、英語で話しかけられたのがトラウマなのか、「すごい仲良し」にはなっていません。)

この小さな出来事がきっかけで、ムスメに本格的に英語で教育を受けさせることを考えはじめました。なぜだか、日本ではハーフの外見をしているだけで、(その子がフランス語圏の子であっても、アラビア語圏の子であっても、日本語しか話せなくても)英語を話せると思われてしまいます。英語が話せないと「ハーフなのに...」と残念そうに言われたりします。もう少し大きくなって、きっちりと日本人としてのアイデンティティを確立して、英語話せなくてもいいと思えれば、それでもいいと思うのですが、それでもハーフ顔でいる限り、日本にいる限り、初対面では英語を話せると思われる偏見はついてまわるのと思います。ハーフにとって、英語は話せて当たり前に思われるのであれば、話せるにこしたことはないと、早いうちにその教育を受けさせてあげるのも親の役目かなと、思い始めました。

私は英語を話すので、私が教えればいい、という声も聞きますが、親子の間で一度確立した言語を別の言語にしようとすると、子供が拒否します。友達にアメリカ人と日本人のハーフのお母さんがいますが、そこはお父さんも日本人なので会話が全て日本語という環境の中で子供を育てたので、今更お母さんが英語で話しかけても、子供は聞いてくれません。逆に、オーストラリアに住んでいる私の日本人の友達は、お父さんが外国人なので、英語の環境で育てて、ある程度英語が確立したので、日本語を教えようとしても子供は親が自分の知らない言語を話すのを嫌がりました。ハナちゃんみたいに最初からバイリンガルにするには、お父さんは常に英語、お母さんは常に日本語で話すようにします。成長過程の子供は、音声や文法などで言語で区別しているのではなく、話している人で区別して言語をわけて考えられるようになるそうです。だから、一人の人がひとつ以上の言語を話すと、どこからがどの言語か区別できなくて、ベースとなる母国語があやふやになると聞いたので、私は選んで日本語だけで子育てをしました。ちなみに、最初から複数の言語の環境で育つと、ひとつの言葉だけを習得しようとしている子供よりも、言葉がでてくるのが遅くなるそうです。

話がかたくなりましたが、とにかくハナちゃんの一件で、ムスメに英語をコンプレックスに感じるようになって欲しくないなぁと思い、そろそろバイリンガル教育のことを考えないといけない時期なのだと気づきました。それで、英語で教育を受けられる学校を調べたら、なんと秋入学。秋入学だと夏生まれのムスメは、日本でいうところの早生まれになるので、今年の秋に1年生になるのです。

あわてて資料を取り寄せ、学校の見学に行ってみたら、とてもよさそう。子供の自主性を大切にしている学校で、「国語(英語)」「算数」「理科」「社会」と分かれてなくて、「主要教科の時間」に算数しながら文法の話で国語の授業もやったりと枠をとりのぞいて学ぶカリキュラムで、クラスみんなで年間を通じて1つのプロジェクトを決めて、学んで、学年の最後にその研究に関係するところに社会見学しに行きます。日本の学校と違うのは、覚えさせるのではなく、自分で学ぶ方法を教わること。1年生でも図書館で友人と協力してリサーチする時間があったり、音楽や体育や美術などは、それぞれ専門の先生に習います。通っている子供たちの出身国も25カ国以上でとても国際色豊かなので、この中にいれば「ハーフでいること」は大したことではなくなるだろうし、むしろこれまでよりももっと強く「日本人」としてのアイデンティティを持つのかもしれません。逆に、これまでムスメが思っていなかった、イギリス人としてや、南アフリカ人としてのアイデンティティも生まれるのかもしれません。

英語で教育を受けれる学校ということで探したけれど、それよりもこの学校の教育方針に惹かれたので、この学校があるところへ引っ越そうかなと考え中。ほぼ決めているのだけど、私のフリーの仕事で食べていけるかどうか見極めて最終決定しようと思っています。遠く離れたお友達へ近況の報告と、どういうきっかけで学校を選んだのかの自分メモでした。



2014/10/21

空を飛びたい

5歳のムスメは(数年しか生きてませんが)数年前から、どうしたら空を飛べるのか真剣に考えています。最近、 有効だと思えるアイデアを思いつきました。

まずは、これまでにムスメが考えた空を飛ぶ方法。


その1:アンパンマンのマントをつける。

2歳の頃は、アンパンマンのマントのようなものをつけると空を飛べると思っていたので、やたらマントを欲しがりました。
マントをあげたら、かなーり喜びましたが、飛べないとわかって、かなーりがっかりしていました。

<写真>3歳になる前くらい。

サングラスをかけて、マントをつけて、飛ぶ気満々でお散歩へゴー! 本人はかなりかっこいいつもり(笑)私、ちょっと恥ずかしい。
その2:ティンカーベルの妖精の粉。

ディズニー大好きで、ティンカーベルの映画も大好き! 妖精の粉があれば、普通の人でも飛べるらしい...だけど、妖精の粉って、ティンクってどこ?
その3:ドラえもんのタケコプター。

年中さんになってから、ムスメのリクエストにより、アンパンマンの代わりにドラえもんを録画することにしました。 それで知ったタケコプター。空、飛べるよね。でも、5歳のムスメは、アニメのドラえもんは現実にはいない、ということがわかっているようで、タケコプターは現実味がなさそう。

そして、数日前。年のサンタさんからのプレゼントを何にするか考えていたムスメ。突然、サンタさんのトナカイが見たいと言いだしました。

- サンタさんがプレゼントもってくるとき、トナカイはどこにいるの?

- いい子にして寝ていないとサンタさんはプレゼントくれないから、サンタさんのトナカイを見てたら寝てないってことだから、サンタさんのトナカイは見れないじゃない...。

- トナカイは動物園にいる? 

- 動物園のトナカイはお空を飛ぶ? 
 

『動物園にもトナカイはいるけど、動物園のトナカイはお空をとばないよ。サンタさんのトナカイは特別なトナカイなんだ。多分きっとティンクの妖精の粉みたいなのをかけてもらっているトナカイなんだよ』と答えたら、ムスメ思いつきました!

サンタさんに、ティンクの妖精の粉を頼めばいいんだ!

サンタさんに妖精の粉2人分くださいってお願いしておく♡ そしたら、ママも一緒に飛べるよ! 

早速、サンタさんにお手紙を書くそうです。(これまでの経験により)1つ以上のプレゼントをくれる可能性も大いにあると踏んで、リクエストは「妖精の粉」と「エルサのリュック」のふたつにするそうです。ティンクやドラえもんに現実で会えないことはわかっているのに、サンタさんはいるらしく、そしてサンタさんならティンクの妖精の粉を持ってるかもと考えるあたり、かしこいんだか、かしこくないんだか(笑)

かわいいので(←親バカ)、記録しておくことにしました。

2014/10/17

グラノラの材料

グラノラの材料で、iHerb で購入しているもの。送料が4ドルで、60ドル以上買うと5%オフで実質送料なしになるので、毎回まとめて買います。初回のみ使える10ドルOFF のクーポン番号は「TFB687」 注文の最後の方で「割引クーポン持ってたら、いれてね」みたいな表示があるので、このコード(TFB687)をいれると、40ドルだか60ドル以上買うと10ドルOFFになります。


基本のオート麦(オートミール)

Bob's Red Mill, Organic Old Fashioned Rolled Oats, Whole Grain

オートミールで検索すると、粥状にするものもでてくるけど、グラノラ用は「Old Fashioned」とある Rolled Oats(押しオート麦)

オーガニックで、900gで600円くらい。国産のオーガニック製品と比べれば、とってもお得!
つなぎは胚芽。胚芽は小麦の芽になる部分。

Bob's Red Mill, Natural Raw Wheat Germ

ふすまを使ってもいいし、胚芽やふすまが全部はいった全粒粉でもいいし、お好きなものを。胚芽やふすまを取り除いた小麦粉にすると、また違った感じになります。

Bob爺の胚芽は、340gで300円ちょっと。パンにいれても、香ばしくなります。パンにいれるなら、フラックスシード(亜麻仁)入りのこちらもおすすめ。
 シード(種)類は、好きなものを。私の定番は、パンプキンシード(カボチャの種)

Now Foods, Real Food, Certified Organic, Pumpkin Seeds, Unsalted,

オーガニックで 340g で600円くらいとお得だったのに、今は日本の輸入規制にひっかかり買えない。「前買えたのに、今買えない」というのは、iHerb ではよくある。



もうひとつの定番、サンフラワーシード(ヒマワリの種)

Now Foods, Sunflower Seeds, Roasted, Unsalted

ローストしてあるので、そのまま食べてもおいしい!450gで500円ほど。クッキーにいれてもおいしいよ。


 栄養価を考えて、亜麻仁。

Arrowhead Mills, Organic Flax Seeds

オーガニックで300円ちょっと。安い!
日本で買うとなかなかするメープルシロップ。オーガニックのもので、 500ml 弱で 1,300円。倍の大きさもあるけど、値段もほぼ倍なので、私はこちらのサイズの方が使いやすくて好き。(だって大きいの買ってハチミツのように常温で保存してたらカビ生えたの。メープルシロップは開けたら、冷蔵保存だって知らなかったんですもの...)

Now Foods, Organic Maple Syrup, Grade B, Deep Rich Flavor,
ドライフルーツいれるなら、まずは定番のレーズン。400gちょっとで500円。うちには、ドライフルーツ好きのムーちゃんがいるので、いつも2缶くらい買います。

Made in Nature, Organic Raisins
オーダすると、次の週には来ます。(だいたい5日くらい?)オーガニックなものを手軽に頼めて、家まで配達してくれる手軽さ、、、。すごい便利!

グラノラ作ったときのニッキは、こちら




2014/09/18

シリアで思ったこと

平和に関して、もう少し。

現在内戦状態で、今度アメリカが空爆を行うと言っているシリアへ行ったことがあります。8年ほど前のことです。

首都のダマスカスは、「世界一古くから人が住み続けている都市」で、バビロニア王朝、ペルシャ王国、ローマ帝国、ファーティマ朝、十字軍、オスマン帝国などの支配を受けながら栄えてきたので、街にはいろいろな文化の跡が混在しています。

オスマン帝国時代に建てられたヒジャーズ駅は、メッカまで続く(予定だった)鉄道の始発駅でした。
 
ウマイヤド・モスク

世界遺産の一部で、現存する世界最古のモスク。もとは、キリスト教の教会。イスラム教徒だけや、男性しかはいれないモスクが多い中、このモスクは布を被れば女性もはいれます。もっとモスクの近くで撮ったものや、中の写真がなくて、残念。
ローマの門

普通に人々の生活圏であるスークと溶けあって2000年もの前の遺跡がある。
多分、泊まった宿の中庭。(残念なことに、よく覚えていない。)
この中東の旅はユーラシア大陸横断の旅の一部で、インドなどを旅した後で、飛行機でエジプトにはいり、陸路でシナイ半島からヨルダン、イスラエル、シリア、レバノン、トルコと旅をしました。中東にいたのは、2006年2月から3月の1ヶ月半ほど。

停戦中とはいえ街も人も緊迫した雰囲気のエルサレム(イスラエルの首都)で、逆説的に「平和というのは、こういうピリピリした空気の中にいなくていいこと」なんだと悟ったり、2004年10月にイラクで殺された香田証生さんがイラクに発つ前に泊まっていたホテルにアンマン(ヨルダンの首都)で泊まって、宿の人から香田さんについていろいろ聞いたり、内戦の銃撃戦の跡が痛々しく残っているベイルート(レバノンの首都)でヒズボラのデモをみたり、とっても考えることが多い旅でした。

戦争や内戦やテロが日本よりも身近にある情勢で、女性が自由に行動できないイスラムの国々で、ついでにプライベートな事情で一番精神的にまいっているときでした。

旅をやめて日本に帰ろうと考えていたときに入国したシリア。出会った人は、みんなとても親切。スーク(旧市街)の中のマーケットのファラッフェルは、とびっきりおいしくて毎日食べていました。首都のダマスカスは、夜暗くなってからでも女一人でホテルの近くを歩いていても危険を感じないほど平和でした。外国人に厳しい中東の中でシリアは「ほっ」と気を抜くことができる優しい国でした。

当時シリアは「悪の枢軸」とまでは言われなかったけど、アメリカ寄りの報道でとても悪い印象の国でした。実際に行ってみたらとてもいいところで、やっぱり自分の目でみて感じるって大切だなぁとしみじみ思いました。


だから、ここ数年のシリアの状況にはとても胸が痛みます。ウマイヤド・モスクは、スークは、ローマの門は壊れていないだろうか。おいしいファラッフェルを作っていた市場の中のお店のおじさんは、元気だろうか。

これが、今のダマスカスです。 Photo Gallery
1日でも早くシリアに、中東に、世界に、平和が訪れますように。一人でも少ない被害でありますように。いつかまた私がシリアを訪れたときに、シリアの人たちの人懐っこい笑顔が見られますように。 

シリアの人たちは、ほんの数年前までこんな状況になるなんて想像もできなかったと思います。「平和」は平和なときには当たり前のことであっても、案外もろいものだったりします。「平和」は私たちが幸せに暮らしていくための、最も基本であり、とっても大切なことです。平和な国にいられることに感謝すると同時に、平和は守っていくものである、ということを忘れてはいけないと思います。一度壊れた平和は、元に戻すまでに長い年月がかかることも。

私は日本の憲法第9条を支持しています。そして、集団的自衛権は必要ないと思っています。日本が武器の輸出を解禁したことにも激しい憤りを感じます。人を殺すための武器を他の国の人たちに売りつけるなんて。この国は、この国の平和はどこへ向かっているのでしょうか。。。。




2014/09/12

日本が誇るべきもの、それは憲法九条

昨日の記事は、本来書こうと思っていたことじゃなかった。アメリカがシリア空爆するというから、その元々の原因は何だっけ?っていうところをまとめていたら、それだけで長文になってしまいました。

「テロをやめさせる方法を攻撃以外の方法で行うべきだと」締めたけど、書きたかったのはここ。じゃぁ、どういう方法が、攻撃以外でテロをやめさせる方法なのか、ということ。

アフガンで支援活動を行っている中村医師に関する新聞記事から抜粋してまとめます。

=== 以下、引用のまとめ ===

アフガニスタンで人道支援を続けるペシャワール会の現地代表で医師の中村哲氏は、1984年にパキスタンでハンセン病の治療を始め、86年からアフガニスタン難民の医療支援を本格化。2000年から、大干ばつに襲われたアフガニスタンで井戸の掘削や農業用水路の建設などに取り組んでいます。

かつて診療所を造るときライフル銃で武装集団に襲われたことがあります。備え付けの機関銃がありましたが、私たちは決して撃ち返しませんでした。殺したら殺される、報復の連鎖が始まると知っているからです。 これまで非暴力に徹し、敵をつくらないようにしてきました。政府、反政府、タリバンと立場に関係なくお付き合いできてきました。

アフガニスタンでは「憲法九条があってよかったな」と、日々思いながら暮らしています。身の危険を感じずに済むからです。 

アフガン人はヒロシマ、ナガサキのことを知っており、戦後復興を遂げた後、「平和国家」「海外に戦力を送らない国」として歩んできたイメージによって日本を尊敬しています。

九条の威力とは、そういうものだと思います。日本は軍事協力に消極的だった結果として、世界に敵をつくってこなかった。アフガンでは敵意ではなく、恩人としての意識だけが残った。それは日本のブランド力、歴史的遺産とも言うべきでしょう。

米国同時多発テロ後、米国がアフガニスタンを攻撃したことで米国は自由を与えに来たと言っているが、確かに麻薬の栽培や売春が自由に行われるようになりました。

積極的平和主義というのは、米国がアフガンでやろうとしていたことです。彼らの多くが「平和をもたらそう」とやってきましたが、人が死に、国が崩れ、破壊だけが残った。それがアフガン戦争の実態です。米国の介入でアフガンの人々の暮らしは明らかにひどくなりました。活動を長く続けていて、こんなひどい状況は初めて。昔は考えたこともありません。

近年の戦争はなるべく自国の兵隊の犠牲を出さないように、無人機で攻撃する。手段を選ばない汚い戦争です。あの仲間に加わるのかと思うと、身が汚れるような気がします。

安倍首相は行使容認を目指す集団的自衛権を「限定的なもの」と説明しますが、戦争の現実を知らない人の言葉。相手がピストルを持っていれば、ピストルで応戦する。ライフルならライフルで、機関銃なら機関銃で。ひとたび武力を使うと際限なくエスカレートしていきます。

北朝鮮の核実験や中国の挑発があると国民はヒステリックになる。政治はその隙を突いてきます。

(中略)武力によって守られたと感じたことは一度もなかった中村さんなりの「安全保障」がある。「政治グループ、部族、地域の対立関係から超然としていること。移動の際、ルートや時間帯を変え、現地の治安部隊、警察と連絡を密にし、いろいろな情報を得ておくこと。そして、地域住民との信頼関係。こちらが本当の友人だと認識されれば、地域住民は保護を惜しまない。

大事なのは、人間の犠牲を減らすための外交努力です。自分が殺されるのは嫌だから、相手も殺さない。これが普通の感覚じゃないですか。


引用元
2014年5月3日 中日新聞
2014年6月5日 神奈川新聞
2014年9月7日 西日本新聞
2014年7月6日 西日本新聞


攻撃以外でテロをやめさせる方法は、この中村医師の活動そのもの。その地の人々の生活を向上させるために労力(やお金)を使うこと。中村井医師の考える安全保障そのもの。攻撃をせず信頼関係を作り、本当の友人だと認識してもらうこと。

今、日本でもあらたな局面を迎えていると思う。「集団的自衛権」 なんて誤摩化した名称をつけても、これは他国を攻撃するための言葉。攻撃はさらなる攻撃をうみます。最大の防御は、攻撃をしないこと。そのための憲法九条を守ること。

私たちは、もっと憲法九条を誇りに思っていいと思う。攻撃すできないから外交で弱い立場になるのではなく、攻撃しないと宣言しているから強気にでれる、そういう外交をして欲しい。

2014/09/11

9月11日に願うもの、それは世界の平和。

アメリカはイラクだけでなく、シリアも空爆するかもしれない、という。というか、私は、そもそもアメリカがイラクを攻撃すること自体間違っていると思う。テロに軍隊で対抗したら、悪化するに決まってる。

なんかアメリカがイラクを攻撃していることが当たり前すぎていて、本来の理由を思い出せないから、まとめてみた。現在から時間を逆戻って、状況を整理してみよう。

アメリカが今回(2014年8月にイラク北部を)空爆したのは、先月「イスラム国」という過激派組織が勢力を広め、キリスト教系住民を虐殺したり、アメリカ大使館がある都市を侵攻しようとしていたから。結果、このイスラム国はアメリカ人ジャーナリストを公開処刑して、それでアメリカはシリアも空爆すると言ってる。(2014年9月11日現在)

この「イスラム国」はどっからでてきたのかというと、2003年のイラク後にイラク国内でさまざまなテロ活動を行い、アルカイダやその他のグループと合流や解散や統合などしてできた集団。ちなみに、アルカイダはアメリカのCIAとパキスタン軍が、(1978年の)ソ連のアフガニスタン侵攻の際に対抗させるために武装させた組織。

2003年のイラク戦争は、2011年にアメリが軍がイラクから撤退するまでの戦争。イラク戦争が始まったときは、そういえば、えええええっ、なぜイラクを攻撃するの?いいの、それで?と腑に落ちない思いをした、と思い出した。発端は、2001年9月11日の同時多発テロになるのかな? テロの後、アメリカはオサマ・ビン・ラディンが首謀として、彼をかくまっているとされたタリバンを標的にアフガンを攻撃して、タリバンはやっつけたけど、アルカイダがどっかにいってしまい、その矛先がイラク。イラクにはテロの温床組織がたくさんあるからとか、大量破壊兵器を隠しているとか、理由をこじつけてブッシュが攻撃はじめ、大量破壊兵器が見つからず、フランス、ドイツ、ロシアはアメリカがイラクを攻撃することに反対していたけど、2003年3月に米英軍が「Operation Iraqi Freedom イラク自由作戦(なんじゃ、そりゃ)」と題して空爆したのが、イラク戦争の始まり。結局その後大量破壊兵器は見つからなかったし、ブッシュの関係者が石油かインフラ化かの権利を受け取る契約を戦争前からしてたとリークがあったけど、うやむやになったまま。

イラク戦争でなくなったアメリカ軍人の数。5000人以下。(アメリカの統計サイト
イラク戦争でなくなったイラク市民の人数。推定:50万人ほど。(出典:The World Post Setpember11, 2014 直接的な死者の数は11万人ほどだど言われていたが、戦争が原因でなくなった人をカウントすると50万人くらいになるという報告)

イラク戦争は、湾岸戦争の続きとも見られる。1990年にイラクがクウェートに侵攻したことに反発して、多国籍軍という名で1991年1月にイラクを空爆したことから始まった。この時のアメリカの大統領は、イラク戦争をはじめたブッシュ大統領のパパ。(湾岸戦争時の目標だった「打倒フセイン政権」を、息子がイラク政権で倒した。パパはおまえのことを誇りに思う、と言ったかどうか)

すぐにイラクは敗戦を認め停戦となったけど、以降10年国内紛争と、(スンニ派のフセイン大統領と対立する)クルド人やシーア派の人を保護するという名目で、アメリカはたびたび攻撃していたし、厳しい経済制裁を受けた。

湾岸戦争でなくなった多国籍軍の数:1000人以下。
湾岸戦争でなくなったイラク人市民:10万人ほど。(出典;Wikipedia 湾岸戦争

湾岸戦争を勃発させたイラクが、そもそもなぜクウェートを侵略したかというと、イラン・イラク戦争で負け、困窮していたから。

イラン・イラク戦争は、1980年にはじまったイラクとイランの戦争だけど、湾岸戦争ではイラクを攻撃したアメリカは、この時は親米派だったイランのバーレビ王朝を、革命派のホメイニ師が倒したことから、このホメイニ師を倒そうとするイラクを支援。と同時に、1979年に起こったイランの「イスラム革命」が広がることを阻止しようとした狙いもある。このときに中東全体にアメリカが口と手をだしすぎたことが、その後の反米感情の元になると思われる。

それまでは、アメリカがアルカイダを作った理由となるソ連のアフガン侵攻(1979年)このあたりまでは、第二次世界大戦後の西側(アメリカ)と東側(ソ連)の冷戦だったのが、アフガン侵攻あたりから、共産圏への攻撃ではなくイスラム圏への干渉や攻撃が顕著となっていく。アメリカは「人道支援」とか「世界の警察」とか「市民の平和のために」とかいう名目で、やっているのは全く反対のこと。

他の国に干渉すると、アフガン侵攻のときに支援したアルカイダにテロを起こされたり、イランイラク戦争のときに支援したフセイン政権をイラク戦争で倒したり、フセイン政権を倒したせいで混沌となったイラクで勢力をのばしたイスラム国にアメリカ人ジャーナリストを殺されて、何にもよくなってない。倒しても倒しても、あらたな「アメリカの敵」はでてくる。それは、アメリカが攻撃をやめないから。

もちろん、アメリカからの見方だと彼らが「テロ」をやめないから、だとは思うけど、殺された人数はどちらが多い? 戦場となった地は、どこ? なぜ、彼らはテロをやめない? アメリカはもう少し学んで考え直すべきだと思う。自分たちの「正義」が、すべてにおいての正義ではない。攻撃だけが、世界を平和にするわけではない。

自分たちの国の市民をテロから守りたかったら、テロをやめさせる方法を攻撃以外の方法で行うべきだと、9月11日私は思う。



2014/09/10

Apple

Apple から新しい iPhone と、ずっと噂になっていた時計が発表がされたー。私は時計はしないので欲しいと思わないけど、大きくなった iPhone 6 plus は欲しいかなぁ。でも、iPhone 5s の契約まだ後1年くらいあるし、しばらく待たなきゃ...。

もうすぐ新しい OS も発表されるし、そのときに新しい iMac も発売されたら買おうと思っていたけど、仕事をフリーランスでやることにしたので、これまでの Mac ちゃんでは限界が...。

 背に腹は代えられず、1ヶ月くらい前に現行の iMac 買っちゃった。春にでた21.5インチのロースペックのものは、魅力的な値段だったけど、スペック落とし過ぎ...な気がしたので、2.7GHzクアッドコア・プロセッサのものを。

本当は iMac の27インチの最高機種が欲しかったけど、とりあえずこのミドルクラスのものをしばらく使って、お仕事が順調にいけば、2、3年後に新しいのに変えられるといいなぁ、と。

(日本時間今朝)行われた基調講演は、Appleのサイトで見られます。基調講演の最初のプレゼンテーションがとってもかっこよかった〜。「See things differently」というテーマで、そのテーマ通りにいろんな角度から撮影されたワンカットの3分の動画。

メッセージも、ビジュアルもとってもAppleらしくてかっこよかったです。

Here's to those who have always seen things differently.
The ones who follow a vision, not a path.

Where others perceive first as valuable,
you value the first thing that actually matters.

While others are distracted by the new,
you focus on the significance of a whole new take.

Even before you could see how, you never doubted
you would change things. And then we did.  Together.
Again and again and again and again.....

Relentless optimism is what moves the world forward.
So, keep seeing things differently.

Keep trusting there is always another way, a better way, a bigger way.
One that lifts up humanity. Breaks down our barriers. And heals the landscape.

You are difference between the world as it was and the better place it will become.
And differentce is the one thing about us that will always be the same.

人とは違う角度から物事を見ることができる人たち、
誰かが通った道の後に続くのではなく自分のビジョンを追いかける人たちへ。

他人の評価で価値を決める人がいるなかで、
あなたは自分にとって必要なものに価値を見いだすことができる人。

新しいものに気をとられている人もいれば、あなたのように、
これまでにない新しい捉え方をしようと努力している人もいる。

どうやって現実にするかわからない時でさえ、あなたはきっと
変えられると信じて疑わなかった。そして、私たちはやった。一緒に。
何度でも、何度でも、ずっと。

楽観的であり続けることで、世界は進歩する。
そして、物事を違う角度から見続けてください。

人類をよりよいものに導くき、限界をふきとばし、展望を癒す
他の方法、よりよい方法、もっと大きな方法があると信じ続けてください。

これまでの世界と、これからなるであるよりよい世界の違いは、あなたです。
そしてその違いこそが、私たちの共通点なのです。


(意訳 by kimama)
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基調講演の最後は、U2 の新しいアルバムを無料で iTune ユーザーに配信するっていうので、U2のライブで締められていました! すごく久しぶりに U2 聴いた(笑)そんなこんなで、久しぶりのブログ終了。


2014/07/07

2014年7月7日 ムスメ5歳のお誕生日に思うこと。

今年の七夕は雨(しかも台風8号のノグリーがやってきている)。ムスメが生まれてから始めて、お誕生日が雨。5年前、ムスメが生まれた日、ムスメが生まれたイギリス(コッツウォルズ)では曇り空だったけど、日本(東京)ではとってもきれいな満月だったと親友が言っていました。

生まれた日のことは鮮明に覚えているけど、遠い昔のよう。まだ生を受けてたったの5年だけど、この5年間でいろいろなことができるようになりました。

首がすわったのは2ヶ月ちょっと、寝返りをうったのは4ヶ月、5ヶ月目にはおすわりできたし、7ヶ月半で歯が生えてきて、9ヶ月半でハイハイ。

歩き始めたのは11ヶ月。同じ頃、離乳食も始めて、最初からモリモリ元気にたくさん食べ、今も変わらず食べるの大好き。夜の授乳をやめたのが1歳7ヶ月。おっぱい星人だったのに、ちゃんとやめることを話したら、親がびっくりするくらいあっさりやめられました。まだまだ何もわからない赤ちゃんだと思っていたのに、理解力の高さに感服。

最終的にやめたのが2歳のお誕生日。理想としていた卒乳ではなく断乳だったけど、目標としていた2歳まであげれたので満足。1歳半のときに出会った半年違いのハーフの女の子とは、それから彼女一家が引っ越すまでいろんな行事を一緒に過ごして、たくさん遊びました。今はすぐに会えないけれど、ムスメの中では一番のお友達。

2歳になった頃には助詞を含む文章が話せて、2歳2ヶ月くらいで完全にオムツがとれ、人並にイヤイヤ期も訪れ(思い返すと、そんなにひどい方ではなかった気もする)、その後のかわいさったらなかったなぁ。

1歳半からお友達になった幼馴染の女の子と一緒に時々、一時保育に通っていたけど、3歳になってすぐから本格的に幼稚園に通うことに。ゆるーいシュタイナー教育を基本とした、子供の個性を大切にする幼稚園で、人が大好きなムスメはすぐに園生活にも慣れて、毎日楽しんで通園しています。

親としてもとても園ライフを楽しんでいて、園の行事以外にも園児のママたちのためのサークルもたくさんあって、多いときは幼稚園に週に3回ほど行ってることも。それでも、この幼稚園で出会ったママたちは、ママ友を超えてお友達になれて、自分のためにもこの幼稚園にムスメをいれてよかったなぁと思います。おっと、話がムスメのことからそれてしまいました。

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3歳と4ヶ月のとき。ムスメが生まれてからのワタシの夢であり目標だった「ふたりたび」を叶えて、オーストラリアで日食を見ました。数年ぶりにみる日食はやはりとても美しく、そしてムスメと見れたというコトもすごく嬉しかった。5週間滞在していたけど、現地の子供に「外国人」に見られず、英語でぺらぺら話しかけられ、やっぱり英語話せないのかわいそうだなぁと。それでも最後の1週間では、少し英単語がでていました。

2回目のオーストラリアででは、渡豪してすぐに英単語を使い出してびっくり。久々にあった東京時代の友達たちの中にすんなり溶け込んでいるムスメをみて、さすがワタシの子! この時も5週間滞在して、帰ってきたら幼稚園では年少々から年少さん。帰ってきたと同時に、一緒に寝るのをやめました。これまた、親が思っていたよりあっさりと一人寝ができるようになりました。

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ムスメが4歳になってすぐ、私がフルタイムで勤めだしたので、ムスメにはちょっと寂しい思いをさせたけど、ムスメなりに理解してくれたらしく、とても頼もしく思いました。こうやって、成長していくんだなぁ。幸い、幼稚園の延長保育制度で預かってくれたし、何よりムスメが幼稚園大好きで、おのこり(延長保育)するのも楽しんでいたのでとても助かりました。
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ムスメの幼稚園では、ひらがなを教えたり数字を教えたりなどの「お勉強」系の活動は一切ありません。けれど、縦割の(年少々から年長までいる)クラスで、小さい時から年中や年長のお姉ちゃんから【おてがみ】をもらっていたので、その手紙を読みたい気持ちがひらがなへの興味へ。手紙はいつも「ムスメちゃん いつもいっしょにあそんでくれてありがとう。ムスメちゃん だいすき」で始まっていて、描いてある女の子の目は片方ウィンクしています。きっと、これ代々受け継がれているんだろうなぁ。

そんなこんなで、ひらがなは気づけば読めるようになり、それと同時期にiPadにいれてあげた「ひらがな」というアプリと、プリキュアの「あいうえお かけたよ!ブック(ホワイトボード用のペンで書いたら消せる)」で、あっという間に書けるように。書けるけど、全部ちゃんと書ける訳ではなく、「う」は反対向いてるし、「あ」はちゃんと書けないし、濁音の文字は「『だ』ってどう書くの?」と毎回聞く。そして、ちゃんと覚えてない字もあるので、「あいうえお かけたよ!ブック」は彼女にとってあいうえおのバイブルみたいなもので、お友達にお手紙書くときは、いつもそれを見て書いています。

ある時、「ちいちゃいときのほんはもういらない。でも、この(あいうえおの)ほんはいる。プリキュアだからじゃなくて、この本がないとムーチ、じーかけないから」と言っていました。かわいい(笑)

最近、プリキュアは好きだけど、前ほどじゃなくてなり、幼稚園の男の子の影響か、「プリキュア、きもい。トッキュージャーのほうがつよい」と言ってました。じゃぁ、テレビはプリキュアじゃなくて、トッキュージャーにする?と聞くと、うん♡と言うけど、私は口だけだとみています。なぜなら、毎週日曜日になると、プリキュアを見るの楽しみにしているから。テレビは録画しておいて、CM消して見せてます。録画しているのは2つ。ハピネスチャージプリキュアとドラえもん。(年少のときまで、アンパンマンとプリキュアだったけど、ムスメのリクエストにより、年中になった辺りから、アンパンマンの代わりにドラえもんになりました。)うちのテレビとのつきあい方、私のテレビに関する考え方、そのうち(覚えていたら)まとめましょう。

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そして、5歳。親がいうのもなんですが、とても素直でいい子に育っているとおもいます。(ここでいういい子というのは、親のいうことをなんでも聞く「いい子ちゃん」ではなく、ちゃんとお友達のことを思いやれる心を持ってことや、明るくほがらかで人を笑わせることが大好きなところ、嫌なことをされたりしても寝にもたずあっさりしているようなところ

バレエのお稽古に通って1年経ちますが、これまで一度も「いきたくない」と言ったことがありません。それって普通だと思っていたら、毎週行きたくないと駄々をこねる子供もいるみたい(教室にきたら、みんなと一緒にレッスンしているのに、家では行きたくないと大変)で、連れてくるのに一仕事なの、という話を聞いて、そんな苦労したことないなぁと思いました。ムスメは、基本的にやることは何でも楽しみます。

総合的に、ムスメはとても「子供らしい」です。欲しいものがあるとワガママいうし、嫌なことがあったら大きな声で泣くし、おもしろいことがあったら人一倍大きな声でゲラゲラ笑います。お友達と遊ぶのが何より好きで、楽しすぎると調子にのります(いわゆる「お調子者」で、クラスに一人はいる笑いをとって目立つひょうきんものタイプ) おしゃべり大好きで、声が大きいです。ちょっぴりせっかちで、待つのが嫌いです。ごはんは大人の8割くらい食べることもあります。よく噛みません。でも、お箸の持ち方は完璧です。(今年の冬休みに特訓しました。食い意地のはっているムスメなので、黒豆をちゃんとお箸でつかめたら食べられる、という訓練にしたら、あっという間にちゃんと持てるようになりました)
ムスメは、とにかく人(幼稚園のお友達もお友達になったばっかりの子も公園であった子も、私の友達たちも幼稚園のお友達のお父さんやお母さん、もちろん幼稚園の先生たち、みーんな)が大好きです。人の顔はだいたい一回で覚えるし、髪型が変わったりしてもすぐに気づきます。 

ムスメの一番のいいところは、笑顔じゃないかと思います。ニコニコしている笑顔もいいし、照れて微笑んでいる顔もかわいいし、楽しいと声を出してゲラゲラ笑っているところを見ると、こちらも笑顔になります。このまま笑顔の素敵な女の子でいて欲しいと思います。
大多数の「年中さんくらいの女の子が好きなコトやモノ」をムスメも好み(ワタシの勝手な好みをいうと、人と違う変わったモノが好きな変な子、とかの方がおもしろいのになぁ(笑)と思っている)、今は「アナと雪の女王」のエルサが大好き。今日「大きくなったら何になりたい?」と聞いたら「エルサ♡」と答えてました。
ちなみに好きな食べ物は「さくらんぼといちご」(そして、オムライス)、好きな色は「きいろ」。好きな遊びは「カプラ」らしいです。

エルサになりたいムスメに、親としてワタシが望むこと。まずは健康一番。次に、ムスメらしい生き方をしてくれること。そして、平和な人であること。

昨日、西日本新聞にアフガニスタンで人道支援を続けるペシャワールの会の中村哲医師のインタービューが掲載されていました。その中で「アフガニスタンから見えてきたものは?」との問いに、中村医師はこう答えています。

『(略)日本は依然、欧米崇拝、脱亜入欧で、その弊害が大きい。経済成長、消費拡大、投資の余地はすでになくなっているのに、今も「成長教」にとりつかれている。原発が危ない、と言いながら、みんな快適な生活を手放さず、消費欲望を膨らませている。満腹なのに食欲増進剤を注射しているようなものです。(略)世の中に大事なモノはそんなにありませんよ。貧乏でも不幸ではない、と気づくべきです。必要なもの不必要なものは何か、制御できるもの制御できないものは何か、そろそろみんなで冷静に見極めたらどうでしょうか』

目標を高く持つのはいいことだと思います。できればムスメにも夢を持ち、追いかけて手に入れて欲しいと思います。そして、それは物質的なものではなく、心が豊かになるようなものであって欲しい、そして中村医師がいうように何が必要で何が不必要かムスメ自身で見極めれるようなオトナになって欲しいと思っています。

その気持ちを形に残すために、ペシャワールの会に会費という形で寄付することにしました。(毎年、7月に会費を払うことになるので、毎年思い出していいかな。普段の無駄遣いダメだけど、こういうことにお金を使うのはいいことだと、大きくなったらわかるかな。そして、地球上の全ての子供たちが空腹に悩まされることなく生きていける世の中になるよう、ムスメも大なり小なり貢献していって欲しいな)というワタシの気持ち。

中村医師とその活動に興味がある方は・・・
アフガニスタン 永久支援のために 中村哲 次世代へのプロジェクト

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お誕生日のギフトに関しては、また別の機会に。そして、毎年恒例のフレンチのことも後々。

もう一つの「毎年恒例」である、七夕飾りの前で記念写真。弟一家からもらった「エルサのドレス」を着て。

6歳用のドレスがちょうどよいです(笑)だって、普段120を着ているんだもの!

毎年、玄関の前で撮っているのですが、今年は雨降っていたので玄関の中で。
今年のムスメのおねがいは「おもちゃいっぱいにあそべますように」「おかしたべれますように ぷりきゅあになれますように」「○○ちゃんとあそぼう」でした(笑)

数日前に自分で書きました。今日書いていたら、「えるさになれますように」だったはず。


今年から、ムスメは私や家族などからは「お誕生日祝い」をもらうけど、私はムスメに「産んでくれてありがとう」カードをもらうことになりました。いいよね♡

最後に。ムスメを産む前まで仲良かった友達は、ほとんどが東京にいて、前みたいに会えなくなったし、連絡もあまりマメにとっていないけど、ちゃんとムスメの誕生日にはお祝いのメッセージを送ってくれます。覚えてくれていることが、とても嬉しい。幸せだなぁと思います。ありがとう。

2014/06/25

World Cup 2014

World Cup...日本の出番は、終わってしまいました。サムライブルーを3回しか見れず残念だったけど、今回嬉しかったことは、ムスメと一緒に観られたこと。

初戦のコートジボワール戦は、アディダス主催で行われたパブリックビューイングに行きました。シネマコンプレックスの中の大きいスクリーンで映し出されるゲームの模様、そこにいる人たち全員で応援している熱気と一体感。やっぱ、サッカーは大人数で見る方が楽しいです。

そして、大きいスクリーンでみると、選手それぞれの動きもちゃんと見られて、すごくいろいろ見えて感動。


本田のゴールが決まったとき!!!(これが、今大会のクライマックスだったのかも。。。)

ムスメも「がんばれー!ニッポン!」と大声をだして楽しんでいるようでした。

何が嬉しいって、好きなことを一緒にできること。
一緒にできることがどんどん増えていくこと。

ちなみに、次の大きな旅の予定は、2017年8月アメリカ。
目的はもちろん日食。(ついでにアメリカのロードトリップとバーニングマンに行けたら最高) 

前回の日食はムスメは何がなんだかわかっていなかったのだけど、きっと今度は記憶にも残る旅になるはず。今から楽しみです。

2014/06/24

電子書籍

前回は「久しぶりにやっちまった」話。今回は「はじめての...」話。 あ、またどうでもいい匂いがしてる? 気にしないで。私のただの息抜きだから。

さて、最近はじめてしたこと。それは、電子書籍を購入したこと。

最新のテクノロジー好き。だけど、アナログも捨てがたい、という私の嗜好がはっきりとでていたのが、「本は紙面で読む」ってこと。友達の中にはアメリカでアマゾンがキンドルをだした2007年から電子書籍に移行していった友達もいたけど、私はかたくなに紙面派。

それが、どういう風の吹き回しって思うでしょ?
今回、購入した電子書籍は、ウェブデザイナー関連の本。製本された紙面でみるより、電子版にして iPad で見る方がみやすいと気づいたわけ。

コーヒーぶっかけられても死ななかったPCと、初の電子書籍をKindleアプリで表示しているiPad。

作業しながら、見るには便利かも。

このブログ、6月頭にここまで書いてアップするの忘れてた。。。

結論、専門書は電子版がいいっ! そして、私はリフロー版より固定レイアウト版の方が好き。(あくまで、図解などがはいっている専門書の話) もう紙面の専門書は買わない(つもり)

1か月前まで、「本は紙面で」って言っていたのが、嘘みたい。遅すぎるって? ま、こんなもんだ。