2014/09/18

シリアで思ったこと

平和に関して、もう少し。

現在内戦状態で、今度アメリカが空爆を行うと言っているシリアへ行ったことがあります。8年ほど前のことです。

首都のダマスカスは、「世界一古くから人が住み続けている都市」で、バビロニア王朝、ペルシャ王国、ローマ帝国、ファーティマ朝、十字軍、オスマン帝国などの支配を受けながら栄えてきたので、街にはいろいろな文化の跡が混在しています。

オスマン帝国時代に建てられたヒジャーズ駅は、メッカまで続く(予定だった)鉄道の始発駅でした。
 
ウマイヤド・モスク

世界遺産の一部で、現存する世界最古のモスク。もとは、キリスト教の教会。イスラム教徒だけや、男性しかはいれないモスクが多い中、このモスクは布を被れば女性もはいれます。もっとモスクの近くで撮ったものや、中の写真がなくて、残念。
ローマの門

普通に人々の生活圏であるスークと溶けあって2000年もの前の遺跡がある。
多分、泊まった宿の中庭。(残念なことに、よく覚えていない。)
この中東の旅はユーラシア大陸横断の旅の一部で、インドなどを旅した後で、飛行機でエジプトにはいり、陸路でシナイ半島からヨルダン、イスラエル、シリア、レバノン、トルコと旅をしました。中東にいたのは、2006年2月から3月の1ヶ月半ほど。

停戦中とはいえ街も人も緊迫した雰囲気のエルサレム(イスラエルの首都)で、逆説的に「平和というのは、こういうピリピリした空気の中にいなくていいこと」なんだと悟ったり、2004年10月にイラクで殺された香田証生さんがイラクに発つ前に泊まっていたホテルにアンマン(ヨルダンの首都)で泊まって、宿の人から香田さんについていろいろ聞いたり、内戦の銃撃戦の跡が痛々しく残っているベイルート(レバノンの首都)でヒズボラのデモをみたり、とっても考えることが多い旅でした。

戦争や内戦やテロが日本よりも身近にある情勢で、女性が自由に行動できないイスラムの国々で、ついでにプライベートな事情で一番精神的にまいっているときでした。

旅をやめて日本に帰ろうと考えていたときに入国したシリア。出会った人は、みんなとても親切。スーク(旧市街)の中のマーケットのファラッフェルは、とびっきりおいしくて毎日食べていました。首都のダマスカスは、夜暗くなってからでも女一人でホテルの近くを歩いていても危険を感じないほど平和でした。外国人に厳しい中東の中でシリアは「ほっ」と気を抜くことができる優しい国でした。

当時シリアは「悪の枢軸」とまでは言われなかったけど、アメリカ寄りの報道でとても悪い印象の国でした。実際に行ってみたらとてもいいところで、やっぱり自分の目でみて感じるって大切だなぁとしみじみ思いました。


だから、ここ数年のシリアの状況にはとても胸が痛みます。ウマイヤド・モスクは、スークは、ローマの門は壊れていないだろうか。おいしいファラッフェルを作っていた市場の中のお店のおじさんは、元気だろうか。

これが、今のダマスカスです。 Photo Gallery
1日でも早くシリアに、中東に、世界に、平和が訪れますように。一人でも少ない被害でありますように。いつかまた私がシリアを訪れたときに、シリアの人たちの人懐っこい笑顔が見られますように。 

シリアの人たちは、ほんの数年前までこんな状況になるなんて想像もできなかったと思います。「平和」は平和なときには当たり前のことであっても、案外もろいものだったりします。「平和」は私たちが幸せに暮らしていくための、最も基本であり、とっても大切なことです。平和な国にいられることに感謝すると同時に、平和は守っていくものである、ということを忘れてはいけないと思います。一度壊れた平和は、元に戻すまでに長い年月がかかることも。

私は日本の憲法第9条を支持しています。そして、集団的自衛権は必要ないと思っています。日本が武器の輸出を解禁したことにも激しい憤りを感じます。人を殺すための武器を他の国の人たちに売りつけるなんて。この国は、この国の平和はどこへ向かっているのでしょうか。。。。




2014/09/12

日本が誇るべきもの、それは憲法九条

昨日の記事は、本来書こうと思っていたことじゃなかった。アメリカがシリア空爆するというから、その元々の原因は何だっけ?っていうところをまとめていたら、それだけで長文になってしまいました。

「テロをやめさせる方法を攻撃以外の方法で行うべきだと」締めたけど、書きたかったのはここ。じゃぁ、どういう方法が、攻撃以外でテロをやめさせる方法なのか、ということ。

アフガンで支援活動を行っている中村医師に関する新聞記事から抜粋してまとめます。

=== 以下、引用のまとめ ===

アフガニスタンで人道支援を続けるペシャワール会の現地代表で医師の中村哲氏は、1984年にパキスタンでハンセン病の治療を始め、86年からアフガニスタン難民の医療支援を本格化。2000年から、大干ばつに襲われたアフガニスタンで井戸の掘削や農業用水路の建設などに取り組んでいます。

かつて診療所を造るときライフル銃で武装集団に襲われたことがあります。備え付けの機関銃がありましたが、私たちは決して撃ち返しませんでした。殺したら殺される、報復の連鎖が始まると知っているからです。 これまで非暴力に徹し、敵をつくらないようにしてきました。政府、反政府、タリバンと立場に関係なくお付き合いできてきました。

アフガニスタンでは「憲法九条があってよかったな」と、日々思いながら暮らしています。身の危険を感じずに済むからです。 

アフガン人はヒロシマ、ナガサキのことを知っており、戦後復興を遂げた後、「平和国家」「海外に戦力を送らない国」として歩んできたイメージによって日本を尊敬しています。

九条の威力とは、そういうものだと思います。日本は軍事協力に消極的だった結果として、世界に敵をつくってこなかった。アフガンでは敵意ではなく、恩人としての意識だけが残った。それは日本のブランド力、歴史的遺産とも言うべきでしょう。

米国同時多発テロ後、米国がアフガニスタンを攻撃したことで米国は自由を与えに来たと言っているが、確かに麻薬の栽培や売春が自由に行われるようになりました。

積極的平和主義というのは、米国がアフガンでやろうとしていたことです。彼らの多くが「平和をもたらそう」とやってきましたが、人が死に、国が崩れ、破壊だけが残った。それがアフガン戦争の実態です。米国の介入でアフガンの人々の暮らしは明らかにひどくなりました。活動を長く続けていて、こんなひどい状況は初めて。昔は考えたこともありません。

近年の戦争はなるべく自国の兵隊の犠牲を出さないように、無人機で攻撃する。手段を選ばない汚い戦争です。あの仲間に加わるのかと思うと、身が汚れるような気がします。

安倍首相は行使容認を目指す集団的自衛権を「限定的なもの」と説明しますが、戦争の現実を知らない人の言葉。相手がピストルを持っていれば、ピストルで応戦する。ライフルならライフルで、機関銃なら機関銃で。ひとたび武力を使うと際限なくエスカレートしていきます。

北朝鮮の核実験や中国の挑発があると国民はヒステリックになる。政治はその隙を突いてきます。

(中略)武力によって守られたと感じたことは一度もなかった中村さんなりの「安全保障」がある。「政治グループ、部族、地域の対立関係から超然としていること。移動の際、ルートや時間帯を変え、現地の治安部隊、警察と連絡を密にし、いろいろな情報を得ておくこと。そして、地域住民との信頼関係。こちらが本当の友人だと認識されれば、地域住民は保護を惜しまない。

大事なのは、人間の犠牲を減らすための外交努力です。自分が殺されるのは嫌だから、相手も殺さない。これが普通の感覚じゃないですか。


引用元
2014年5月3日 中日新聞
2014年6月5日 神奈川新聞
2014年9月7日 西日本新聞
2014年7月6日 西日本新聞


攻撃以外でテロをやめさせる方法は、この中村医師の活動そのもの。その地の人々の生活を向上させるために労力(やお金)を使うこと。中村井医師の考える安全保障そのもの。攻撃をせず信頼関係を作り、本当の友人だと認識してもらうこと。

今、日本でもあらたな局面を迎えていると思う。「集団的自衛権」 なんて誤摩化した名称をつけても、これは他国を攻撃するための言葉。攻撃はさらなる攻撃をうみます。最大の防御は、攻撃をしないこと。そのための憲法九条を守ること。

私たちは、もっと憲法九条を誇りに思っていいと思う。攻撃すできないから外交で弱い立場になるのではなく、攻撃しないと宣言しているから強気にでれる、そういう外交をして欲しい。

2014/09/11

9月11日に願うもの、それは世界の平和。

アメリカはイラクだけでなく、シリアも空爆するかもしれない、という。というか、私は、そもそもアメリカがイラクを攻撃すること自体間違っていると思う。テロに軍隊で対抗したら、悪化するに決まってる。

なんかアメリカがイラクを攻撃していることが当たり前すぎていて、本来の理由を思い出せないから、まとめてみた。現在から時間を逆戻って、状況を整理してみよう。

アメリカが今回(2014年8月にイラク北部を)空爆したのは、先月「イスラム国」という過激派組織が勢力を広め、キリスト教系住民を虐殺したり、アメリカ大使館がある都市を侵攻しようとしていたから。結果、このイスラム国はアメリカ人ジャーナリストを公開処刑して、それでアメリカはシリアも空爆すると言ってる。(2014年9月11日現在)

この「イスラム国」はどっからでてきたのかというと、2003年のイラク後にイラク国内でさまざまなテロ活動を行い、アルカイダやその他のグループと合流や解散や統合などしてできた集団。ちなみに、アルカイダはアメリカのCIAとパキスタン軍が、(1978年の)ソ連のアフガニスタン侵攻の際に対抗させるために武装させた組織。

2003年のイラク戦争は、2011年にアメリが軍がイラクから撤退するまでの戦争。イラク戦争が始まったときは、そういえば、えええええっ、なぜイラクを攻撃するの?いいの、それで?と腑に落ちない思いをした、と思い出した。発端は、2001年9月11日の同時多発テロになるのかな? テロの後、アメリカはオサマ・ビン・ラディンが首謀として、彼をかくまっているとされたタリバンを標的にアフガンを攻撃して、タリバンはやっつけたけど、アルカイダがどっかにいってしまい、その矛先がイラク。イラクにはテロの温床組織がたくさんあるからとか、大量破壊兵器を隠しているとか、理由をこじつけてブッシュが攻撃はじめ、大量破壊兵器が見つからず、フランス、ドイツ、ロシアはアメリカがイラクを攻撃することに反対していたけど、2003年3月に米英軍が「Operation Iraqi Freedom イラク自由作戦(なんじゃ、そりゃ)」と題して空爆したのが、イラク戦争の始まり。結局その後大量破壊兵器は見つからなかったし、ブッシュの関係者が石油かインフラ化かの権利を受け取る契約を戦争前からしてたとリークがあったけど、うやむやになったまま。

イラク戦争でなくなったアメリカ軍人の数。5000人以下。(アメリカの統計サイト
イラク戦争でなくなったイラク市民の人数。推定:50万人ほど。(出典:The World Post Setpember11, 2014 直接的な死者の数は11万人ほどだど言われていたが、戦争が原因でなくなった人をカウントすると50万人くらいになるという報告)

イラク戦争は、湾岸戦争の続きとも見られる。1990年にイラクがクウェートに侵攻したことに反発して、多国籍軍という名で1991年1月にイラクを空爆したことから始まった。この時のアメリカの大統領は、イラク戦争をはじめたブッシュ大統領のパパ。(湾岸戦争時の目標だった「打倒フセイン政権」を、息子がイラク政権で倒した。パパはおまえのことを誇りに思う、と言ったかどうか)

すぐにイラクは敗戦を認め停戦となったけど、以降10年国内紛争と、(スンニ派のフセイン大統領と対立する)クルド人やシーア派の人を保護するという名目で、アメリカはたびたび攻撃していたし、厳しい経済制裁を受けた。

湾岸戦争でなくなった多国籍軍の数:1000人以下。
湾岸戦争でなくなったイラク人市民:10万人ほど。(出典;Wikipedia 湾岸戦争

湾岸戦争を勃発させたイラクが、そもそもなぜクウェートを侵略したかというと、イラン・イラク戦争で負け、困窮していたから。

イラン・イラク戦争は、1980年にはじまったイラクとイランの戦争だけど、湾岸戦争ではイラクを攻撃したアメリカは、この時は親米派だったイランのバーレビ王朝を、革命派のホメイニ師が倒したことから、このホメイニ師を倒そうとするイラクを支援。と同時に、1979年に起こったイランの「イスラム革命」が広がることを阻止しようとした狙いもある。このときに中東全体にアメリカが口と手をだしすぎたことが、その後の反米感情の元になると思われる。

それまでは、アメリカがアルカイダを作った理由となるソ連のアフガン侵攻(1979年)このあたりまでは、第二次世界大戦後の西側(アメリカ)と東側(ソ連)の冷戦だったのが、アフガン侵攻あたりから、共産圏への攻撃ではなくイスラム圏への干渉や攻撃が顕著となっていく。アメリカは「人道支援」とか「世界の警察」とか「市民の平和のために」とかいう名目で、やっているのは全く反対のこと。

他の国に干渉すると、アフガン侵攻のときに支援したアルカイダにテロを起こされたり、イランイラク戦争のときに支援したフセイン政権をイラク戦争で倒したり、フセイン政権を倒したせいで混沌となったイラクで勢力をのばしたイスラム国にアメリカ人ジャーナリストを殺されて、何にもよくなってない。倒しても倒しても、あらたな「アメリカの敵」はでてくる。それは、アメリカが攻撃をやめないから。

もちろん、アメリカからの見方だと彼らが「テロ」をやめないから、だとは思うけど、殺された人数はどちらが多い? 戦場となった地は、どこ? なぜ、彼らはテロをやめない? アメリカはもう少し学んで考え直すべきだと思う。自分たちの「正義」が、すべてにおいての正義ではない。攻撃だけが、世界を平和にするわけではない。

自分たちの国の市民をテロから守りたかったら、テロをやめさせる方法を攻撃以外の方法で行うべきだと、9月11日私は思う。



2014/09/10

Apple

Apple から新しい iPhone と、ずっと噂になっていた時計が発表がされたー。私は時計はしないので欲しいと思わないけど、大きくなった iPhone 6 plus は欲しいかなぁ。でも、iPhone 5s の契約まだ後1年くらいあるし、しばらく待たなきゃ...。

もうすぐ新しい OS も発表されるし、そのときに新しい iMac も発売されたら買おうと思っていたけど、仕事をフリーランスでやることにしたので、これまでの Mac ちゃんでは限界が...。

 背に腹は代えられず、1ヶ月くらい前に現行の iMac 買っちゃった。春にでた21.5インチのロースペックのものは、魅力的な値段だったけど、スペック落とし過ぎ...な気がしたので、2.7GHzクアッドコア・プロセッサのものを。

本当は iMac の27インチの最高機種が欲しかったけど、とりあえずこのミドルクラスのものをしばらく使って、お仕事が順調にいけば、2、3年後に新しいのに変えられるといいなぁ、と。

(日本時間今朝)行われた基調講演は、Appleのサイトで見られます。基調講演の最初のプレゼンテーションがとってもかっこよかった〜。「See things differently」というテーマで、そのテーマ通りにいろんな角度から撮影されたワンカットの3分の動画。

メッセージも、ビジュアルもとってもAppleらしくてかっこよかったです。

Here's to those who have always seen things differently.
The ones who follow a vision, not a path.

Where others perceive first as valuable,
you value the first thing that actually matters.

While others are distracted by the new,
you focus on the significance of a whole new take.

Even before you could see how, you never doubted
you would change things. And then we did.  Together.
Again and again and again and again.....

Relentless optimism is what moves the world forward.
So, keep seeing things differently.

Keep trusting there is always another way, a better way, a bigger way.
One that lifts up humanity. Breaks down our barriers. And heals the landscape.

You are difference between the world as it was and the better place it will become.
And differentce is the one thing about us that will always be the same.

人とは違う角度から物事を見ることができる人たち、
誰かが通った道の後に続くのではなく自分のビジョンを追いかける人たちへ。

他人の評価で価値を決める人がいるなかで、
あなたは自分にとって必要なものに価値を見いだすことができる人。

新しいものに気をとられている人もいれば、あなたのように、
これまでにない新しい捉え方をしようと努力している人もいる。

どうやって現実にするかわからない時でさえ、あなたはきっと
変えられると信じて疑わなかった。そして、私たちはやった。一緒に。
何度でも、何度でも、ずっと。

楽観的であり続けることで、世界は進歩する。
そして、物事を違う角度から見続けてください。

人類をよりよいものに導くき、限界をふきとばし、展望を癒す
他の方法、よりよい方法、もっと大きな方法があると信じ続けてください。

これまでの世界と、これからなるであるよりよい世界の違いは、あなたです。
そしてその違いこそが、私たちの共通点なのです。


(意訳 by kimama)
------

基調講演の最後は、U2 の新しいアルバムを無料で iTune ユーザーに配信するっていうので、U2のライブで締められていました! すごく久しぶりに U2 聴いた(笑)そんなこんなで、久しぶりのブログ終了。